Schoenberg, Webern and Berg [Gould]
「新ウィーン楽派」の3人の作曲家、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルクはひとつに結び付けられて語られることが多いですね。
個人的には、シェーンベルクは「月に憑かれたピエロ」あたりになるともうお手上げです。
ウェーベルンについては、バッハの「音楽の捧げ物」のアレンジ(例の音色フーガの技法を駆使したもの)には感動しますが、それ以外ではあまり興味が持てません。
この3人のなかでは、ベルクが、実は大好きなんです。かなり退廃的で不健康な音楽かもしれませんが、とても美しい・・・・
Gouldが、この3人の作曲家のことを、実に的確に(と、個人的には思う)語っているビデオがあります。
ブルーノ・モンサンジョン制作の「The Alchemist 」。
とてもオリジナルな解釈ですが、とてもとても面白い視点でこの3人を解説してくれています。
私、このビデオが大好きなんです。
モンサンジョンさんは、本当の意味でGouldの良き理解者だったんですね。
ただ残念なことに、なんとも日本語字幕がお粗末で、ひどいのよ~。
意味わかんないところ多々。音楽用語めちゃくちゃ。
クレームしちゃおうかしら・・・
なので、精一杯わかる範囲で訳してみました。
(この人の頭の回転についていけない!早口だし、話がボンボコ飛んで・・・)
世間一般に認められている意見では、ウェーベルンはある意味、シェーンベルクのメッセージやテクニックを未来につなげているということになっています。
これらはその後、ブーレーズやセリー主義の信奉者たちによって発展させられていきます。
一方ベルクは、比較的保守的な書法を用いているので、彼の過去を、彼が出てきたその世界を体現しているということになっています。
そして、シェーンベルクは、その中間的なものを体現しているということになっています。
でも、私(Gould)は、この3人の関係をもっと違うように見ています。
シェーンベルクは、一種の狂熱的な人物。
相手が聴衆だろうと、あたりかまわず怒りの言葉をはきちらす、旧約聖書の巨人のような人物。
(自分自身や自分の役割や自分の作品に対する激しい思い入れという点で)ほとんどベートーヴェン的とも言える人物のように思えます。
(ここで、シェーンベルクの組曲Op.25のインテルメッツォを怒った顔で弾いています)
ウェーベルンは、その初期作品が証拠なんですが、調性音楽を書いているときはあまり幸せではなかった。
初期の調性音楽はあまり出来が良くない。
しかし彼は、その生涯のずっと後になって、とても美しい細密画のようなテクニックを作り上げ、音楽におけるサミュエル・ベケットやピエト・モンドリアンのような存在になった。
(ここで、ウェーベルンの変奏曲Op.27)
ベルクは、より良く構成された、より優れたテクニックを駆使するムソルグスキーのように見えます。
コーヒーハウスに入り浸っている、かなりノイローゼがかった耽美風の人物。
自分が示そうとする自分自身についての自伝的イメージに囚われた人物。
そして、ものすごく情熱的な音楽を書くんです。
だけど、こういう情熱には似つかわしくないテクニックの力を借りてね。
(ここで、ベルクのソナタOp.1)
ベルクの生涯には、実は音楽家としてスタートしたばかりの頃ですが、まさに彼にピッタリの音楽言語で、まるで水を得た魚のように作品を書いている時期があります。
それは、やがて無調性になるものに近い音楽言語、あるいは少なくとも調性の終末を予告するような音楽言語で、そこではワーグナー風のライト・モチーフを使っているのですが、それらを古いソナタ・アレグロのフォームの中に入れているのです。
それ以後、年を重ねながらベルクが負っていった問題は、彼が古い形式と新しいテクニックを使い続けたところにあります。
これらの形式とテクニックはうまく結びつかなかったんだ。
モンサンジョン:ベルクは彼の音楽言語の成熟には辿りつけなかったと?
Gould :いや、そんなことはないよ。彼は明らかに彼自身の音楽言語を見出しましたよ。彼の「ヴァイオリン・コンチェルト」や「叙情組曲」を聴くと、あっベルク!ってすぐにわかりますから。
おそらく彼は、素人がすぐに誰だか聴きわけられる唯一の十二音技法の作曲家でしょう。
ただ彼は、最初から最後まで、まったくの折衷主義者だった。
私は、ベルクのことを思うとたまらない感じになるんだ、彼は彼自身の名声のためには丁度良いときにこの世を去った・・・・あ~っ別に彼の早死にを期待していたわけではないんですよ!ただ、彼がもっと長生きしていたら、彼に備わった感傷的な性質、時と共にますます支配的になってゆくこの性質は、(彼の後期の作品、特に「ヴァイオリン・コンチェルト」などのね)、もし彼がもっと生きていたら、彼が若い頃に作り上げた素晴らしく構成された有機的構造を犠牲にしてどんどん増大していったことでしょう。
私は、とても奇妙な倒錯した理論をもっているんです。もちろん間違っているのかも知れませんが、なんと言えばいいのか・・・・様々なスタイルの混合がテクノロジーの介入によって音楽の将来を表すというものです。
様々なスタイルはOp.1よりも説得力を持ってミックスされることは決してないという理論です。その理論のもとでは、多くの場合、作曲家は彼の初期作品より優れたものを書くことは決してないのです。
フランスのビゼーが初期作品より優れたものを何一つ書いていないなどとは言いませんよ。
彼が「交響曲ハ長調」を書いたのは17歳の時です。わぉ!
ベルクがソナタOp.1よりも優れたものを書いていないとも思っていません。
ただ、シェーンベルクはその作品を気に入っていなかった。それで何故だろうと考えたんです。
ベルクはソナタ・アレグロの様々な要求に従いながら、ワーグナーのライト・モチーフに似たとても短い3つのモチーフを使っています。(パンパパ~~~ンと歌ってみせる)
これらのモチーフを基に、全体を提示部、展開部、再現部という枠組みに置きながら非常に緻密な構造を築き上げたのです。
当然、このことは彼にとって厄介なことになりました。彼は古い形式から抜け出して、完璧に結合してしまっているこれらの素材を新しい形式にあてはめる方法を見つけることができなかったんだ。
方や、ウェーベルンはこういうことをうまくやってのけたわけで。
ウェーベルンが未来を表し、ベルクが過去を表すと言われているのはそのためですね。
でもこれでは単純視しすぎると思いますよ。
現実にはベルクは1908年、22~23歳の時にOp.1を書き、それが当たったんですから。
モンサンジョン:ベルクはあなたがこのように語ることを認めてくれたでしょうか?
Gould :たぶん、だめでしょうね!(笑) でも私はこの理論が気に入ってるんだもん!(笑)
個人的には、シェーンベルクは「月に憑かれたピエロ」あたりになるともうお手上げです。
ウェーベルンについては、バッハの「音楽の捧げ物」のアレンジ(例の音色フーガの技法を駆使したもの)には感動しますが、それ以外ではあまり興味が持てません。
この3人のなかでは、ベルクが、実は大好きなんです。かなり退廃的で不健康な音楽かもしれませんが、とても美しい・・・・
Gouldが、この3人の作曲家のことを、実に的確に(と、個人的には思う)語っているビデオがあります。
ブルーノ・モンサンジョン制作の「The Alchemist 」。
とてもオリジナルな解釈ですが、とてもとても面白い視点でこの3人を解説してくれています。
私、このビデオが大好きなんです。
モンサンジョンさんは、本当の意味でGouldの良き理解者だったんですね。
ただ残念なことに、なんとも日本語字幕がお粗末で、ひどいのよ~。
意味わかんないところ多々。音楽用語めちゃくちゃ。
クレームしちゃおうかしら・・・
なので、精一杯わかる範囲で訳してみました。
(この人の頭の回転についていけない!早口だし、話がボンボコ飛んで・・・)
世間一般に認められている意見では、ウェーベルンはある意味、シェーンベルクのメッセージやテクニックを未来につなげているということになっています。
これらはその後、ブーレーズやセリー主義の信奉者たちによって発展させられていきます。
一方ベルクは、比較的保守的な書法を用いているので、彼の過去を、彼が出てきたその世界を体現しているということになっています。
そして、シェーンベルクは、その中間的なものを体現しているということになっています。
でも、私(Gould)は、この3人の関係をもっと違うように見ています。
シェーンベルクは、一種の狂熱的な人物。
相手が聴衆だろうと、あたりかまわず怒りの言葉をはきちらす、旧約聖書の巨人のような人物。
(自分自身や自分の役割や自分の作品に対する激しい思い入れという点で)ほとんどベートーヴェン的とも言える人物のように思えます。
(ここで、シェーンベルクの組曲Op.25のインテルメッツォを怒った顔で弾いています)
ウェーベルンは、その初期作品が証拠なんですが、調性音楽を書いているときはあまり幸せではなかった。
初期の調性音楽はあまり出来が良くない。
しかし彼は、その生涯のずっと後になって、とても美しい細密画のようなテクニックを作り上げ、音楽におけるサミュエル・ベケットやピエト・モンドリアンのような存在になった。
(ここで、ウェーベルンの変奏曲Op.27)
ベルクは、より良く構成された、より優れたテクニックを駆使するムソルグスキーのように見えます。
コーヒーハウスに入り浸っている、かなりノイローゼがかった耽美風の人物。
自分が示そうとする自分自身についての自伝的イメージに囚われた人物。
そして、ものすごく情熱的な音楽を書くんです。
だけど、こういう情熱には似つかわしくないテクニックの力を借りてね。
(ここで、ベルクのソナタOp.1)
ベルクの生涯には、実は音楽家としてスタートしたばかりの頃ですが、まさに彼にピッタリの音楽言語で、まるで水を得た魚のように作品を書いている時期があります。
それは、やがて無調性になるものに近い音楽言語、あるいは少なくとも調性の終末を予告するような音楽言語で、そこではワーグナー風のライト・モチーフを使っているのですが、それらを古いソナタ・アレグロのフォームの中に入れているのです。
それ以後、年を重ねながらベルクが負っていった問題は、彼が古い形式と新しいテクニックを使い続けたところにあります。
これらの形式とテクニックはうまく結びつかなかったんだ。
モンサンジョン:ベルクは彼の音楽言語の成熟には辿りつけなかったと?
Gould :いや、そんなことはないよ。彼は明らかに彼自身の音楽言語を見出しましたよ。彼の「ヴァイオリン・コンチェルト」や「叙情組曲」を聴くと、あっベルク!ってすぐにわかりますから。
おそらく彼は、素人がすぐに誰だか聴きわけられる唯一の十二音技法の作曲家でしょう。
ただ彼は、最初から最後まで、まったくの折衷主義者だった。
私は、ベルクのことを思うとたまらない感じになるんだ、彼は彼自身の名声のためには丁度良いときにこの世を去った・・・・あ~っ別に彼の早死にを期待していたわけではないんですよ!ただ、彼がもっと長生きしていたら、彼に備わった感傷的な性質、時と共にますます支配的になってゆくこの性質は、(彼の後期の作品、特に「ヴァイオリン・コンチェルト」などのね)、もし彼がもっと生きていたら、彼が若い頃に作り上げた素晴らしく構成された有機的構造を犠牲にしてどんどん増大していったことでしょう。
私は、とても奇妙な倒錯した理論をもっているんです。もちろん間違っているのかも知れませんが、なんと言えばいいのか・・・・様々なスタイルの混合がテクノロジーの介入によって音楽の将来を表すというものです。
様々なスタイルはOp.1よりも説得力を持ってミックスされることは決してないという理論です。その理論のもとでは、多くの場合、作曲家は彼の初期作品より優れたものを書くことは決してないのです。
フランスのビゼーが初期作品より優れたものを何一つ書いていないなどとは言いませんよ。
彼が「交響曲ハ長調」を書いたのは17歳の時です。わぉ!
ベルクがソナタOp.1よりも優れたものを書いていないとも思っていません。
ただ、シェーンベルクはその作品を気に入っていなかった。それで何故だろうと考えたんです。
ベルクはソナタ・アレグロの様々な要求に従いながら、ワーグナーのライト・モチーフに似たとても短い3つのモチーフを使っています。(パンパパ~~~ンと歌ってみせる)
これらのモチーフを基に、全体を提示部、展開部、再現部という枠組みに置きながら非常に緻密な構造を築き上げたのです。
当然、このことは彼にとって厄介なことになりました。彼は古い形式から抜け出して、完璧に結合してしまっているこれらの素材を新しい形式にあてはめる方法を見つけることができなかったんだ。
方や、ウェーベルンはこういうことをうまくやってのけたわけで。
ウェーベルンが未来を表し、ベルクが過去を表すと言われているのはそのためですね。
でもこれでは単純視しすぎると思いますよ。
現実にはベルクは1908年、22~23歳の時にOp.1を書き、それが当たったんですから。
モンサンジョン:ベルクはあなたがこのように語ることを認めてくれたでしょうか?
Gould :たぶん、だめでしょうね!(笑) でも私はこの理論が気に入ってるんだもん!(笑)
いやー、なんか難しい話で私にはよくわかりませーん。
まあ、グールドの独特な演奏って、こういう現代音楽?への
深い理解もひとつの土台になってるんでしょうね。
しかし、年取った頃のグールドって私には丹波哲郎に見えて仕方ありません。
by macha (2010-10-22 22:43)
machaさん!!
なんですって!!???
なんておっしゃった!!!???
年取ったって、このときのグレンさんは、まだ41歳です!
年寄りじゃありませぬ。
しかし、たしかに難しいお話で、私にもよくわかりませんが・・・
とても個性的な、そう独特な解釈ですね。
この人のベルク・ソナタは最高に素敵です。
by glennmie (2010-10-22 23:05)
xml_xslさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-10-22 23:06)
アヨアン・イゴカーさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-10-22 23:06)
ぼんぼちぼちぼちさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-10-22 23:07)
まるさん、たくさんnice!をつけてくださって、どうもありがとうございます。
by glennmie (2010-10-22 23:08)
galapagosさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-10-23 20:43)
takemoviesさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-10-23 23:09)
Mineosaurusさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-10-24 10:13)
tamanossimoさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-10-24 10:13)
eternityさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-10-24 21:31)
dorobouhigeさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-10-24 21:31)
天国で本人に会って、ちょっと印象が変わったかも…それとも正解だったりして。
by Mineosaurus (2010-10-25 20:44)
Mineosaurus さん、
自分も天国にいけたら、きいてみたいですね^^
Gouldはベルクに、何となく自分と共通する部分を見ていたような気がします。
奇しくも亡くなった年齢も同じですね。
私は、このインタビューを見る度に奇妙な感覚を覚えます。
by glennmie (2010-10-25 22:44)
よってさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-10-27 23:55)
cfpさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-11-23 12:08)