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エリーゼのために [音楽雑感]

心配の種だったいくつかのステージ演奏もなんとか終わり、春が来るのね~♪、などとへらへらしていたら、
ブログ左に設置した " side door " にことづてが届いているのを発見しました。

「いつも拝見しています。
ご自分の演奏を沢山公開していらっしゃいますね。
せっかく公開なさるのなら、もう少しレベルの高い曲に取り組んでいただけませんか。
バッハのような練習曲はご自宅で、ご自分のためだけで充分でしょう。
ちなみに、○○音楽大学の付属高校に通う私の娘は、中学生の時に平均律は終えております。」




おぉ~~~!これは強力だ。
どなたか存じませんが、お母さん、ブラボー!crowd_applause.gif






音楽教室の講師の方からよく聞くのですが、
新しく入会してきた生徒さんのお母さんから、
「エリーゼのためには、何年生でやるものなのですか?
せっかく始めたのだから、エリーゼくらいは弾けないと。」
と言われたりするみたいで。





浮世は辛い・・・・
Bachもベートーヴェンもたじたじだね^^
あの世できっと、こんなだよ dancing_cat.gif






さて、その「エリーゼのために」
私は、未だ自信を持って弾くことができません。(おっと[あせあせ(飛び散る汗)]どの曲もなのですが^^;)





まずはこの動画を見てください。ブレンデルの演奏です。



まぁ!!なんて美しい演奏!
0:07 あたりから・・・・「レ・ド・シ・ラ」と弾いていますね。



こちらはアラウ。



かなりピッチが高い。
でも、「ミ・ド・シ・ラ」と弾いていますね。(0:11あたり)



この違いは何なのでしょう??
「レ」なの?
「ミ」なの?
どっちなの?
調べてみましたが、わからない。
こんなに有名な曲なのに、何故はっきりした回答が見当たらないのでしょう??





この曲 ”Für Elise a-Moll WoO 59”の手稿譜は紛失されているようなのです。
残されているのはベートーヴェンが残した2枚の草稿のみ。
そこには曲のいくつかの断片と走り書きが記されています。
完成稿ではないんですね。


この草稿を基にしたTranskription が、BEETHOVEN-HAUS から出版されていますが、草稿のファクシミリもついています。
草稿では、この部分は出だしの1フレーズのみ書かれていますが、「レ・ド・シ・ラ」となっていますよ。
故にこのTranskription も同様になっています。
この曲はロンド形式になっているので、全てのこの部分は「レ・ド・シ・ラ」になるはず。


ところが現在出版されている楽譜には、「レ」の版も「ミ」の版もどちらもあるんですよね・・・・

「Urtext」(原典版)と銘打っている楽譜は調べた限りでは全て「レ」になっています。
しかし、Breitkopf は「ミ」だ。

もう一つ気がついたこと。
それは、「レ」で始まる版はすべて「レ」、最後まで「レ」。
「ミ」で始まる版はすべて「ミ」、最後まで「ミ」。

日本の版はどの版も「ミ」で統一されているけれども、最後だけ「レドシラ~」と終わる。
これ、日本だけみたい。
回りに聞いて歩いたけれど、「最後だけレドシラでしょ?」ってみんな言う。
(さらに最後が和音になっているのも、日本だけかも。他のどの版も最後はそうなっていません。)


まあ、この国の校訂版はどっかに置いておくとしても、
この理由をどうしても知りたい。





この草稿を発見したといわれるNohl さん(BEETHOVEN-HAUSの解説によるとプロフェッサーとなっていますが)が、ベートーヴェンの没後40年に「Fur Elise」の初版を出版しています。
こちらで見ることができます。

http://imslp.org/wiki/F%C3%BCr_Elise,_WoO_59_(Beethoven,_Ludwig_van)



驚くことに、この初版では最初の部分が「ミ・ド・シ・ラ」

写真.JPG

その他の部分は全て「レ・ド・シ・ラ」

写真1-2.JPG


となっています。


ベートーヴェンの草稿を基に出版されたんでしょ?
なのにいきなり「ミ」ですか?
Nohl 教授は、原稿をきちんとチェックしなかったの?
見落としたの?
それともミスプリ?
それともそれ以外に理由があるのでしょうか?


このNohl 教授は、モーツァルトのプライベートなお手紙を沢山見つけてきた人でもあるらしい。
テレーゼ・マルファッティさんの手紙箱を探し、この草稿も見つけたらしい。
(やらしい人かも・・・)
テレーゼを間違えてエリーゼと出版してしまったらしい。
(まぬけかも・・・)
そして「ミ」と「レ」がわからない人だったらしい・・・・



後年の「レ」と「ミ」の混同はここから始まっていったのではないでしょうか・・・






BEETHOVEN-HAUS のTranskription の解説には、この点についての説明はほとんどありませんでした。
もしかして、もはや大したことではないのかもしれません。
だって、すでに「レドシラ」であるということが明白であるのだから。






だとしたら、今日もこの国のどこかで誰かに「ミドシラ~」と弾かれているこの現実は一体何でしょうねぇ?





















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アヨアン・イゴカー

>せっかく公開なさるのなら、もう少しレベルの高い曲に取り組んでいただけませんか。
なんという教育ママでございましょう?!こんな母親に育てられた子供が演奏する音は聞きたくないざんす!速く、間違いなく、他人が難曲だと言う曲を弾くことを目標にしているのでしょうね。音楽は、まず自分が楽しむために、自分のために弾かなければなりません。

by アヨアン・イゴカー (2012-02-27 00:18) 

glennmie

アヨアン・イゴカー さん、コメントありがとうございます。

そうですねぇ~
音楽の受け取り方も人それぞれということなんですね。
音楽は、私にとっては憧れ、夢の世界のものなので、何年生で弾くものとか、文科省の設定した単位に換算されてしまうと、全く別の世界の話に感じてしまいます。
レベルが低いとか高いとか、私たちが決めるなんて、音楽の方からすれば余計なお世話と、きっと言いたいでしょうね^^
by glennmie (2012-02-27 03:09) 

galapagos

ある水準にまで達している作曲家の作品をきちんと弾くことは、とても難しいことだと思います。

ましてバッハを基準にその方のお話は、赤面レベルでしょう。もう、どうなっているの。
by galapagos (2012-02-28 08:47) 

yumiko

す、凄いコメントでしたね~!でも、グレンミーさんの仰るとおり音楽は、美しい世界に連れていってくれるものだと思います。たとえ、ドレミフェソラシド~って、スケールだけでも、音楽的に美しく演奏することは、楽しいことですもの。ましていわんや、巨匠バッハ様の名作平均律、本当に掘り下げれば掘り下げるほど難しいものですよね。グレンミーさんのバッハ好きです。また聞かせて下さい。
by yumiko (2012-02-28 13:25) 

まり

せめて勉強(学習?)曲と・・・
glennmieさんが
バッハを好きで、
バッハを弾きたいから
自分のブログでアップしてるんだから・・・
・・・ブツブツ


by まり (2012-02-28 20:16) 

glennmie

galapagosさん、コメントありがとうございます。

仰るとおりですね~。
自分がイメージする音と現実の音とのギャップにいつも失望しつづけています。
Bachのような天才の音楽は天才にしか再現できないのかもしれません。
でも、Bachは全ての音楽を愛する人のために、と沢山の曲を残してくれました。
そのお言葉に甘えて、私も便乗させていただいています。
素晴らしい音楽家たちの作品に出会えることは、ある意味奇跡だと思いません?
by glennmie (2012-02-28 21:41) 

glennmie

yumikoさん、

いやいや・・・励ましてくださって、ありがとうございます。
スケールを美しく弾くのって、私にとっては至難の技。
でも、本当にその通りですね。
知れば知るほど、音楽の不思議に圧倒されます。
3月はBachのお誕生日なので、何か記録に残そうと頑張っていますけど、どんな結果が出てきても、偉大で懐の深いBachならきっと許してくれると思っています^^

by glennmie (2012-02-28 21:51) 

glennmie

まりさん、

まりさんだ!おひさしぶりです^^
そして、ありがとうございます。
そうですね~、まともに満足のいく演奏など到底出来ない私なので、限られた人生の時間、好きな曲しか弾かないことにしています。
でもBachの曲って、どんなに頑張ってもきりがないです。
地道にコツコツ勉強を積み重ねていけば、いつか私なりの成果が現れてくるのかな・・・地味な人生ですが、それはそれなりに楽しいです^^

by glennmie (2012-02-28 22:01) 

Mineosaurus

うーむ。コメントするのもあほらしいお方がオルのですね。弾くことはできますがな。音大付属をでなくても。以前東京に住んでいるとき、ボクはお隣のお家のお子さんのピアノに悩まされたことがあります。ある日、ボクが窓を開け、バックハウスの演奏でベートーヴェンの32番を聴いていると、そのお家のお母様がやってきてピアノの音がうるさくてうちの子供が練習できないとのたまいました。
「済みませんでした。でも、あなたの耳にはこのピアニストのピアノが雑音に聞こえるのですね」と様残念そうに申し上げ、窓を閉めたことがあります。ボクがバッハについてあまり感想を記事にしないのは練習曲だからではないですね。記事にした後で聴き直すとまた異なるイメージが湧いてくるのです。だからバッハはピアニストの方向から書く意外にない。ぁ、少しまた腹立ってきた。
by Mineosaurus (2012-02-29 20:51) 

般若坊

いや~ すごいクレームですね。音楽を愛する者として悲しくなります。 音楽に高い低いのレベルがあるんでしょうか・・・超絶技巧練習曲が高いレベルでしょうか。何か受験勉強の問題と勘違いしているような人か、音楽ママのくせに音楽が全く理解できない人のような気がします。
by 般若坊 (2012-02-29 20:52) 

glennmie

Mineosaurus さん、コメントありがとうございます。

周りの様子を見回してみても、たぶん、少なくともこの国では、「あちら」が主流だと思われます。
○○コンクールに優勝したとか、どこの国に留学したとか・・・
とても大事なことみたいで。
音楽が個人の顕示欲の道具にされてしまうのは本当に残念なことだと思います。
でも、最終的には個人の問題なのかなとも思います。
音楽から何を得たいのかということは、人としてどうありたいか、どんな生き方をしたいのか、ということと関わってくるのかもしれませんね。

バックハウスのピアノをうるさく感じるって、逆にちょっと凄いかも。
無敵ですね~^^


by glennmie (2012-03-01 00:06) 

glennmie

般若坊さん、コメントありがとうございます。

ホント、見事な攻撃でしょう?
ご要望にはお答えできないので申し訳なく思っています。
私にとってはBachは神様なので、何を言われても弾き続けていきたいです。
音楽の受け取り方は人それぞれなのだから、それでいいのだと思います。
人に押し付けるものではないのだし。

私、レベルっていう言葉が嫌いです。
音楽や人のレベルが高い、低いって・・・その基準はどこからくるものなのか。
誰が決めるものなのか、
うさんくさい言葉ですよね。

by glennmie (2012-03-01 00:24) 

ユーフォ

ステージ演奏お疲れ様でした(^O^)/
無事に終了したようで、良かったですね。


私は音楽の専門知識もありませんが・・・
奏者の方が本当に音楽が好きで心から楽しんで
演奏されているからこそ、聴き手の心にも
響くのではないかな?
と常に思っているので・・・

glennmieさんの奏でるセバスチャンの音に
演奏に魅力を感じるし、好きなのです♥

いつも演奏が公開されるのを楽しみにしてる私や
ピッピの為にも是非是非、これからもヨロシク
お願いします(^◇^)
ユーフォ相方
by ユーフォ (2012-03-04 13:20) 

glennmie

ユーフォ相方さん、コメントありがとうございます。

励ましてくださって、どうもありがとうございます。
私はもともと、頑固で人の言うことを聞かない困った奴なのですよ^^
自分が好きじゃないこと、納得しないことのためには動かない難儀な性分です。
Bachの音楽をもっと知りたい、学びたいと思って始めたこのブログなので、もっともっと頑張りますよ~^^
相方さんやピッピのために、沢山勉強して一生懸命演奏していきます。
こちらこそ、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
by glennmie (2012-03-05 00:49) 

Enrique

初めてコメントいたします。あまりのことで、だまってられなくなりました。
いやー、すさまじい攻撃です。まったく反撃を寄せつけないですね。美しい花園をブルドーザーで整地されるようなもので、これは平和的手段としては逃げるしか手はありません。
バッハをすべて練習曲と決めつけるのもすごいし、レベルが低いとはこれまたすごい。一体何を弾いたらお眼鏡に叶うのでしょうか?宇宙人の音楽でもやればいいのでしょうかね。百歩譲って仮に練習曲だとしても、上手い人の練習曲こそ聞きたいですし。。。
エリーゼはバガテルで、文字通り捨てるのに忍びないくらいの作品なのでしょうが、これ結構大した曲だと思っている人も結構いますね。もっともこういう曲をさらっと弾くのは却って難しいことなのでしょうが。
by Enrique (2012-03-05 22:04) 

glennmie

Enriqueさん、はじめまして、コメントを残してくださってありがとうございます。

見事なカウンターパンチでした^^
世の中、いろんな人がいるんですよね。
私にとっては宝物だと思っているものでも、他の人にとっては無意味なものだったりすることって結構あります。
ただ、そうした価値観を人に押し付けてはいけないですね。
Bachの素晴らしさを感じられないのならそれはそれで結構だし、わざわざこちらに言ってこなくても、と、思うわけでして(笑)

音楽の勉強をグレード何級とか、何年生レベルとか、そういう視点で考えてしまうと、途端に色褪せてしまいます。残念なことですね。

私、ベートーヴェンのバガテルが大好きです。
「ほんのバガテル」かもしれませんが、ベートーヴェンのイマジネーションのかけらがここかしこにキラキラ輝いていて、わくわくします。
エリーゼは、名曲だと思いますよ。こんなに多くの人に愛されて。
草稿のファクシミリを見ると、推敲に推敲を重ねていて、こんな小さな曲にも彼が身を削って作曲しているのがわかります。
ブレンデルさんのように美しく演奏できたらどんなに素敵かな、と憧れます。
by glennmie (2012-03-05 23:59) 

Enrique

バッハの興奮余って、バガテルに関しては私も似たようなこと書いてしまいました。後半カットですね。愛される曲が良い曲です。どんな小品でもでもバッハはバッハ、ベートーヴェンはベートーヴェンです。
by Enrique (2012-03-06 06:56) 

glennmie

Enrique さん、ありがとうございます。

そうですね^^
沢山の素晴らしい音楽をこの世に残してくれて、本当に感謝したいです。
だんだん春ですね~。
もうじきBachのお誕生日がやってきますね~♪
by glennmie (2012-03-06 10:21) 

Cecilia

私はglennmieさんはレヴェルの高い曲をレヴェルの高い演奏でアップされていると思っています。
「エリーゼのために」のレとミの話、例の講座で聞きました。
この曲、長女がはじめての発表会で弾きましたがその時小2でした。私はレッスンで正式に見ていただいたことないのですが、小2でも弾けてしまう曲なんだ!と驚くと共に、世の中のピアノの先生にとってはそういう扱いの曲になっているんだなあ、とも感じました。
私は難しい曲を弾くことはできませんが、小品を大切にしていきたいです。
by Cecilia (2012-03-08 10:13) 

お水番

はじめまして。
私が使っていた「エリーゼのために」の譜面も、最後以外はミドシラ、最後だけがレドシラになっていました。最後だけレドシラになっているのは、レドシラのほうが解決した感じが出るからなのかなあと、表面的にはそれで納得しましたが、内心はミドシラよりレドシラのほうが感じがいいのになあ、なんでレドシラじゃないのかなあとも思っていました。
たしかに、子供の時はそんな風に感じていたなあということを、思い出しました。
by お水番 (2012-03-08 13:08) 

glennmie

Ceciliaさん、コメントありがとうございます。

私も講座で「レ」と「ミ」の違いを教えていただき、どうしてこのような混同がおきてしまったのだろうかと、とても知りたくなりました。
こんなに有名な曲なのに、なんで納得のいく説明がされていないのでしょうね。

この可愛らしい美しい曲が沢山の人に愛されるのは素敵なことだと思います。
小さい子には小さい子の、大人には大人の感じ方でこの曲が楽しまれ受け継がれてきたんですよね。
だからこそ、ベートーヴェンの意図はきちんとさせるべきだと思うのですが。

私にとってはどんな曲も難曲です^^
音楽を知ろうとすればそれだけ、音楽は遠くに逃げていってしまう。
一生勉強の身で終わるんだなぁ・・と思いますが、そこが魅力だったりするので
それでいいんだと思っています。
by glennmie (2012-03-08 21:15) 

glennmie

お水番さん、はじめまして、コメントありがとうございます。

とても鋭い感性を持ったお子さんだったんですね。
うらやましいです^^
第一印象で物事が決まってしまうことってよくありますが、ここは「レドシラ」なんだ、と思ってからは、「ミドシラ」と聴くと違和感を感じます。

その他にも、最後の重音の四分音符が原典版では「ラ」のオクターヴの八分音符だったり、途中の装飾音がついていなかったり・・・・と日本の楽譜はあちこち相当違います。
こんなに変えてしまって、その根拠は何だろう・・・??
謎は深まるばかりです。
結局 お水番 さんの子供時代の直感が正しかったわけですよね。
「レドシラ」のほうが絶対、自然で綺麗です。

by glennmie (2012-03-08 21:25) 

e-g-g

この意見をされたご婦人が
グールドの弾くトルコ行進曲を聴いたら、何と言うのでしょう?
様々な意見を持つことは、もちろん自由ですが、
それを他者に押しつけるのはいただけません。

日本に西洋音楽(というのも変ですけれど)が入って来てから、
150年くらい経つのでしょうか、世代としては4〜5代ですね、
もちろん日本人的な受け止め方はあると思いますが、
まだまだ教養としての音楽という呪縛から抜け出せない、
そんな気がしてなりません。

先日、孫と一緒に訪れた娘がグールドのK.331を聴いて、
“お稽古しているときに、これを聴いてびっくりした。
でも、グールドのは、これが本当のトルコ行進曲って思えるよね、
とにかく音楽のカタチってひとつじゃないんだ、、、”
と話していました。
小さいときに、ピアノを習わせて良かったと思います。
すみません、エリーゼとは関係のない話、
それになんだか自分のことになってしまいました。
by e-g-g (2012-03-28 18:01) 

glennmie

e-g-gさん、コメントありがとうございます。

Gouldのトルコマーチの歌いまわしは、いかにもGouldのレトリック!と思います。
彼の考え方、話し方、表情がそのまま音になってる。
こういう個性を認めない人もいますね。
人間はみんな違う顔をしているし、一人一人みんな違うはずなのに。

音楽を、学歴やコンクールの受賞歴と照らし合わせて判断するのって、ヨーロッパの音楽に対するコンプレックスから来るものなのでしょうか。
今の世の中を見渡してみると、ますます日本人であることが嬉しくない風潮であることは事実ですけれど・・・
by glennmie (2012-03-29 00:35) 

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