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「シ」の音 [音楽雑感]

イベント尽くしの多忙な日々が過ぎ、今月は部屋でぼんやり過ごしています。
いろんな場所へ行ったり遠出したり・・・でも結局はこの部屋に戻って同じ態勢の自分がいる。
思えば、中学時代から自分の生活はな~んにも変ってないんだなうらやましいでしょ。


時間に余裕ができたので、少し前からいじくっている楽譜にじっくり取り組んでいます。
エネスクの「プレリュードとフーガ」
本当に素敵な曲で、絶対弾けるようになりたいと珍しく思ったわけで。
楽譜が絶版になっているものを苦労して見つけ出し、やった!と喜んだのも束の間。
またまた悩める状況に突入しています。

音がね。
ひとつだけ謎の音があるのですよ。
楽譜に。
それもフーガのエンディングの最もドラマティックな部分に。

enescu.JPG
この部分。

なんだろな~・・・・と、フリーズすること数日。

ポツンと現れるこの非和声音のシ。
弾いてみると結構インパクトがあります。
この音は作曲家の意図なのだろうか、ミスなのだろうか、印刷のミスなのだろうか・・・
前からの流れから見るとおやっという響きなのですが、構成音の中から音を抜き取ってみると内声のメロディーとしてなんとか成立し得る音となります。なにせフーガですから・・・

これを作曲家の創意ととらえるべきか・・・どうなんだろう。
あまり弾かれることのない曲らしく、youtubeに上がっているのはひとつだけ。
その演奏では音をなおして和声音のドで弾いていました。
こうなってくると、安易ににドで弾くのもなんだかなぁという気もしてきて・・・

前回、同じエネスクの組曲を弾いたときにも同様な謎が何か所かありました。
その時は、作曲者自身の演奏を聴くことができたのでよかったのですが。
この作曲家の出版譜は不備が多い。
いいのか、そんなんで・・・もったいないですよ~。

この楽譜はサラベールから出ているのですが、サラベールがデュラン社と合併する際に絶版になりました。
なので、この先新しいエディションも期待できないです。

譜面の様相が普段よく見るサラベールのものとは違っていて、なんだろうと調べてみると、
元はEditura muzicalãという出版社から出ていた楽譜らしいです。
この出版社がなくなり、その版権をサラベールが譲り受け、そっくりそのままの形で再販したもののようです。
これがエネスクの生前中の出版だとすれば、このシの音は作曲家の意図と理解できるのでしょうが、そこまではわかりませんでした。

もっと理解できていないこと。
そもそもエネスクという人はどんな人なのだろうか。
彼は人生のなかで第一次世界大戦と第二次世界大戦を経験していて、作風も時代と共に大きく変化しています。
その根底にある祖国ルーマニアへの思い。
そのルーマニアとは?
私は、そこらへん何もわからずにたった一つの音の答えだけを見出そうとしている。
ダメだな、glennmie[パンチ]


というわけで、悩める日々はまだまだ続くと思われます。





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morgenschön [音楽雑感]

前回の記事から時間が空いてしまいましたが、前回、
Bachのライトモチーフとも呼べるような象徴的音型は、コラールの歌詞と密接に関係している・・・・
ということを学んだところまで記録しました。

その後たくさんのコラールや歌曲を実際にあたってみて、思い当たることや新しく知ったことなど、多々得るものがありました。

元々、ドイツ語に限らず大方の外国語の歌は、一つの音に一つの言葉が入ります。
一つの音に一つのシラブルしか入らず、言葉として成立させるためには複数の音が並ばなければならない日本語の歌で育った者には、最初からハードルが高い話ではあります。


ひとつ、面白い発見をしました。
シューベルトの「野ばら」の楽譜を見ていたときです。
周知のとおり、詩を書いたのはゲーテです。
冒頭に「morgenschön」という言葉がでてきます。
これは、「朝」と「美しい」という言葉をつなげたゲーテの造語なのだそうです。
jung und morgenschön・・・「咲いたばかりで」「夜明けのように美しい」という意味になるのでしょう。
有名な近藤朔風さんの歌詞では、「清らに咲ける」となっています。
旨い訳だと思います。

問題は、そこに充てられたシューベルトのメロディーです。
この曲はト長調の曲なのですが、「morgenschön」のところ、ドの音にシャープがついています。
ここで転調してニ長調になるんですよ。
これは一瞬の転調で、「ばらよ、ばら、赤いばら・・・」のくだりになると元の調にもどります。
美しいばらを見て、子供が喜んで駆け寄るその一瞬の描写にシャープをつけて5度上の明るい調にキラッと転調するんです。
ドイツでは、シャープのことをクロイツと言ったりしますよね。
「morgenschön」に小さな十字架をつけて別の世界にとんだととらえると、なにかとても意味深で象徴的な気がします。
天才の作曲家にかかると、こんな風に言葉とメロディーが有機的に機能して素晴らしい作品が生まれるんだな、と実感しました。

ただね、喜んでこのことを職場で言ったら、
「そんなの皆知ってるわよ、何を今さら」みたいに言われてしまった。
そうだったのか~・・・シュン[バッド(下向き矢印)]
またしても、知らないのは私だけ、なのね~~
ま、いいや。
自分にとって大切なことなので、ここに記録しておきます。


いや~、パソコンが壊れまして。
電源ボタンが効かなくなってしまい、線を全部抜いて静電気を放出してからまた繋いで、を繰り返してだましまだし使っていましたが、もうそこそこ年季が入ってきたしガンバって買い換えました。
Windows8になって、まだよく使いこなせていないまま、いつもの通りMineosaurusさんのブログにお邪魔して、
やだわ、また、
出会ってしまった。
超素敵な曲に。

エネスクの
こちら↓

夢みるフーガ

morgenschönならぬnachtschönな、静かな夏の夜に奏でたい素敵な曲。

自分も弾いてみたいな、弾けるかなぁ、と思っているうちにどうしても楽譜を見てみたくなりました。
で、楽譜屋さんに注文をかけたのですがこれが絶版!
アカデミアでさらに探してもらっていますが、3か月たって見つからなかったら諦めてくださいと言われています。
こうなると、どうしても欲しくなってきました。

で、あちこち探していたら、新品のパソコンなのにウィルスに感染してしまったのだ。
マカフィーにもウィルスバスターにもひっかからない。
で、リカバリーしました。
前のパソコンからのお引っ越しが済んだばかりだというのに。

前にエネスクの組曲の楽譜を手に入れた時も、すったもんだしたもんだ。
私、嫌われてるのかも・・・・
ま、いいや[たらーっ(汗)]


さて、この楽譜を自室にいながら手に入れる方法はないでしょうか?












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「聖アン」の奇跡 [音楽雑感]

ここ数週間お留守をしていましたら、記事の上に広告が載っていてビックリしました。
まめに更新しないと広告がついちゃうんですね~。

ブログを放置して何をしていたかと言いますと、オルガンの勉強に精を出していました。
家には一応オルガンがあるのですが(パイプではなく電子です、あたりまえか・・・)、今までほとんど弾くことはなく、ひたすら部屋のインテリアとしてこちらも放置、時々デモ演奏を鳴らしたりして遊ぶくらいでした。
だって、弾けないんだもの^^;
今回やっと陽の目を見た理由は、セバスチャン(私のピアノ)でどうしても弾きたくなった曲が出てきたからです。

過去にも何度かオルガン曲を自分流に編曲してみたことがあるのですが、
どうもだめだね。
オルガンとピアノは鍵盤が共通しているというだけで、ピアノから見ると最も遠い存在の楽器なんだと実感しましす。
オルガンの楽譜をただピアノでなぞるだけでは何もならない。
レジストレーションを熟知しなければ。
でも倍音の重ね方とか、音色の使い分けとか、そこには楽曲そのものだけでなく歴史とか宗教的背景とか、様々な事柄に対する理解と共感が必要になるわけで、
ひたすら難しい・・・・

出来合いのピアノ用の編曲を黙って使えばいいのでしょうけどね。
リストとかブゾーニとか、ケンプにレーガー・・・たくさん出てますけどね。
それぞれの編曲の違いを見るにつけ、何故こうなるのかとか、この和音の違いは何?とか
元の知識がないからよくわからない。
知らなすぎです。



で、頑張ってオルガンを弾いています。ヨロヨロ~っと。
オルガニストの友人がいるので、彼女にレジストレーションなどを様々伝授していただき、実際の響きを確かめながら、ピアノ用の編曲譜とにらめっこの日々が続いています。
自分なりに面白い発見もいろいろありました。


ずっと昔から好きだった曲がありまして、ピアノ用編曲があまりにも難しそうなのであきらめていたのですが、今、この時代に、どうしてもピアノで弾きたくなりました。
BWV552・・・・「聖アン」です。
楽曲の勉強も同時進行で頑張っています。


Bachは存命中にクラヴィーア練習曲集を4冊出版していますが、その第3集はオルガンのための曲集です。
全27曲中、第1曲目のフランス風序曲と最終曲のフーガをつなげたものが、BWV552の「聖アン」となります。
この第3集に対する勉強が、自分は相当随分かなり浅かった。


マリー=クレール・アランのバッハ全集の解説書に、とても興味深い一説がありました。
オリヴィエ・アラン(彼女のお兄さん)が発見したそうなのですが、
Bach所蔵のクラヴィーア練習曲集 第4巻の最後のページに14曲のカノンが、Bach自身の手で書き留められているのだそうです。
14(B+A+C+H)・・・つまりこのシリーズの巻末に記されたBachの最後の署名なんですね。

もうひとつ、
B+A+C+H=14
J.S.Bach・・・9+18+2+1+3+8=41(14の反対)
と、ここまでは知っていましたが、
J.O.H.A.N, S.E.B.A.S.T.I.A.N, B.A.C.H=158(1+5+8で14)は知りませんでした。
どこまでトータルコーディネイトなんだ・・・

数象徴を重視する曲の分析をGouldは否定していましたね。
文学的、絵画的解釈は楽曲そのものに対する理解の妨げになると。
しかしこのオルガン曲集は、明らかに「数」にこだわり、それを徹底することで統一性を持とうと試みられていると思います。
またそれはBach自身の深い信仰心の表れであり、この曲集が「オルガン・ミサ」と呼ばれる由来だと思います。

数と共にもうひとつ注意したいのが、象徴的音型です。
後年のライト・モチーフ(示導動機)と呼ばれるものに似ています。
順次進行の上昇、下降に含まれる意味、跳躍進行の上下行の意味、アルペッジョ、シンコペーション・・・等等。
これらの音型の意味は、コラールの歌詞とそのメロディーとの関係と密接に結びついています。
定型化されている表現内容も知っていなくてはならないと思いますが、ドイツ語をよくわかっていないとこれもなかなか難しい。
日本語もそうですけど、他の国の言葉には訳せない、その言葉特有のニュアンスってあるじゃないですか。
どこまで理解できるのかなと疑問ですが、6度の平行進行は神への服従だとか、アルペッジョは精霊だ、とか短絡的に結びつけてしまうのもいかがなものかと。


なので、「聖アン」を弾く為には、その間にある他の曲・・・21曲のコラール編曲(教理問答)と4つのデュエットもきちんと勉強して理解してからじゃないといけないな、と思うわけで。
果てしないぞ~・・・・

またまた引用ですが、新バッハ全集の解説には
「オルガン音楽の技術上・様式上の注目すべき多様性と、信じがたい作曲技法的困難さへの妥協のない挑戦である。」
と書いてありました。
「最大の眼目は、三位一体の神への賛美と祈願および神を巡るさまざまな教え、つまり神学と典礼の最重要項目を網羅することにあった。」
とも書いてありました。

なんか、畏れ多い・・・・





私の大好きな演奏、ハンス・ファギウスさんの演奏が、なんとYoutubeに上がっていました!

プレリュード


フーガ


凄い!



楽譜には「Organo pleno 」の指示があるのですが、ピアノで倍音を重ねるだけでは全然足らない。
こんな時助けてくれるのはシェーンベルクだったりする。










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Touch The Sound [音楽雑感]

自分のコンサートまで、あと2週間あまりと迫ってきましたが、
仕事の諸事情でなかなか集中してピアノにむかう時間がとれません。
仕事の量を減らすと生活がままならないし、ここらへんの調整が難しいところです。



なので、最近はピアノの屋根を閉めて音を密封状態にして夜に練習しています。
これがなかなか気持ちいい。
屋根をオープンにすると音はいろいろなところへ飛んでいきますが、
閉め切った胴体の中で共鳴する音たちは思いもよらない効果を生んで、
深い、豊かな、新しい響きを体感させてくれます。
音の振動がピアノ全体に伝わって楽器の全身が振動する、その響きに感動します。
宮沢賢治の「セロ弾きゴーシュ」の、チェロの胴体の中に入った子ねずみが病気を治すくだりを連想します。
こういう音の効果って、録音することはできないんだな・・・



そんなこんなで、練習そっちのけでいろんな事をあれこれ考えてしまいました。




自然界に存在する音、その中で人間の聞き取れる音はとても限られている。
音楽の「楽音」の領域は、もっともっと狭い。
音響工学の本に書いてあったこと、「耳(つまり頭の横に付いている一対の聴覚器官)というのは、単にもっとも使用頻度の高い「可聴音域」を感知するための部品にすぎず、本来は身体全体の「皮膚」そのものが「空気振動を感知する器官」なのだ」。
それを読んでいて、エヴェリン・グレニーさんのことを思い出しました。



ご存知の通り彼女は耳が聞こえませんが、「耳」などという限られた小さな部品に頼らず全身で音を感知できる素晴らしい感覚を持っています。
「耳だけで聞く」ということは、本来の音楽の世界の、もっといえば自然界の一部を切り取った行為といえるのではないか。
コンサート会場で私たちが「聞く」のは、目の前で出される「楽音」以外にもその音の残響、共振、倍音・・・・
つまり「空間」。
「空間」を聞くために、私たちはコンサートへ出かけていくのですよね。



「雪がしんしんと降る。」
「しんしんと」ってどんな音?
何もない「ホワイト・ノイズ」を重ねると、広い空間が聞こえてくるらしいです。
広いホワイト・ノイズの空間に囲まれると、雪がしんしんと降る音が聞こえてくるだろう。



そして、ピアニストのアファナシェフさんがインタビューで言っていたこと。
「音楽は沈黙から立ち上り、沈黙に還ってゆく。」




「初めの一音が大事」、よく聞く言葉ですよね。
でも、もっと言うなら、初めの一音を出す寸前の「空間」に触れることが大事。
何もないところに「音楽」は、「振動」は、すでに始まっているのだから。







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Autumn Concert [音楽雑感]

早いもので、9月ももうじき終わろうとしています。
11月に予定しているコンサートのチラシができあがりました。


(↓クリックで拡大します)

チラシ1.jpg


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専門家のお二人に混ぜてもらって頑張ります。
今年は、Bachとワーグナーとエネスクを演奏します。
なんか、取り留めのない選曲のようですが、私の中では一つの世界の中にあるものです。




先月up したエネスクのサラバンドは、自分の中でもまだ迷いがある状態でした。
音響効果をかけて、画像をつけてナントカごまかしたつもりでいましたら、Mineosaurusさんから
ダメだしがでました。
やっぱり・・・(笑)
ありがたいことだとつくづく思います。
私は今現在独学ですが、ブログを通して素晴らしい方々から沢山のご意見やお知恵を分けていただいて、
それが何よりの勉強になっています。
皆さんからいただくコメントは、このブログの宝物だと思っています。



さてこのサラバンド・・・今この曲が大きな課題です。
どうも身につかないというか、頭の中に定着しないんです。
大好きなんだけど気が合わない人と向き合うにはどうしたらいいのだろう。
そんな悩みに似ています。



先日、気晴らしにアメリカのゲームサイトで"room escape"ゲームで遊んでいたのですが。
ゴシック風の廃墟のお屋敷の暖炉の上にエネスクの肖像画がかかっていました。

enesco.png

アハハ・・・こんなとこにまで・・・やだもう、逃げられん・・・・


自分の中で、何かピン![ひらめき]とくるものがひらめくまで、
しばらくフラフラ、あちこち出かけてみようかな、と思っています。










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meu tempo [音楽雑感]




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メトロノームは、1800年頃ドイツ人のヨハン・メルツェルが実用化した画期的なガジェット。
1分間に音符を何回刻むか。
メトロノームがあれば正確な数値で演奏を管理することが出来る。はず。


ところで、メトロノームの数字の横に表示されている速度標語(AllegroとかAndanteとか)って誰が決めたんだろう?
もちろん、メルツェルさんやウィンケルさんではないですよね。
Allegroが120~168とか、Andanteが76~108とか、どうしてこのように決まっているのでしょうか。
昔から不思議だったのですが、今尚不思議です。
誰が設定したのだろう。
通常は、常識では、良識に基づいて・・・・いつの時代の誰のどんな常識からきているのかしら。
知りたい。


tempoという言葉は音楽の世界では速度のことを言いますが、もともとのイタリア語では、時間。
「time」と同義語ですよね。
私の時間とあなたの時間は同じでなければならないということか。





楽譜の左上に明記してあるメトロノーム表示。
M.M.=60とか、♪=132とか、実はちゃんと守って弾いたことがありません。
(もっとも、エチュードや教材は別ですけれど。
バルトークがミクロコスモスで「M.M.=120、20秒で」と記していることには大きな意味があると思います。)
だってね、この数値、たとえ作曲者本人による指定だとしても、それが案外当てにならないものだというのを私は知っている。
メトロノームの価値を大いに認めていたのはベートーヴェンだ、というのは周知のことですけれども、
たしか第9だったと思う。
ロンドン公演の演奏者からテンポの数値を尋ねられたベートーヴェンは、自分で設定したテンポのメモをなくしてしまっていて、新たに書き起こして手紙で送ったのだそうです。
ほどなくして失くしていたメモが見つかったのですが、その数値が全然違っていた・・・で愕然としたそうで。
ワーグナーは、自分の作品のテンポが演奏者の自由にされるのが我慢ならない。
演奏者に文句をつけると、「楽譜の指示通りです。」との答えがかえってくるのが度々あったのだそうで、じきにメトロノーム表記をやめてしまったとか。
人間は機械ではないのだから、自分の感覚を数値では決められない。
時間に関する感覚だって、朝と夜では全然違うし、湿気の多い時、暑い時、寒い時、健やかなる時、病める時・・・・全然違うし。
作曲家が自分の曲を演奏する時はとっても速いんですよ、とアナリーゼ講座の中村先生が仰っていました。
ご自身が作曲家でいらっしゃるから、その言葉には説得力があります。
自分自身の曲が頭の中で鳴る時は、他人の曲を鳴らすのとはちがって、一瞬で駆け巡るのでしょうね。
事実、ラフマニノフやラヴェルやエネスクの自作曲の演奏はどれもとっても速い。
曲の頭に表記されているメトロノーム記号は、慎重に見なければなりませんね、それが作曲者自身の指定だったとしたら尚更。




一方、通常はイタリア語で表記される速度標語。
歴史を重ねるにつれて、どんどん数を増し細かい表現になっていくところが面白い。
標語が使われ始めた初期の頃、バロック期の速度標語はとても数が少ないです。
「Allegro(速い)」と「Andante(遅い)」が主流でしょうか。
速いか遅いかがわかればいい、ということでしょうね。
それ以上は、演奏習慣に則った演奏者の解釈に委ねられていたと理解できます。
その後、作曲家の社会的地位や演奏の場の変化に伴い標語は複雑になっていきます。
Andanteよりももっと遅くしたいんだ、とAdagioが頻繁に使われるようになりますが、
例えばモーツァルトのAdagioとベートーヴェンのAdagioでは、明らかにその意味も速度も違いますよね。

そこで冒頭のメトロノームの疑問です。
BachのAndanteもベートーヴェンのAndanteも同様に76~108の中に括ってしまっていいの?
時代考証や作曲家のキャラクターを考慮したい時、この「目安」が邪魔になる。
大体、速度標語ってよく見てみると実際に「速度」を示す言葉ではないですよね。
「速度をイメージさせる言葉」なのでは?

Grave・・・重々しく
Lento・・・のろのろと
Adagio・・・ゆるやかに
Andante・・・歩くように
Allegro・・・陽気に
Vivace・・・活発に


作曲家の要求が高くなると、速度記号も細かくなります。
Allegro assai Vivace ma Serioso・・・・とか。
作曲家の切実なお願いが身に沁みて、こんな表記に出会うと「はい!了解しました!」と敬礼しています。



標語の種類が多様になってくると、選択の幅が増えてきます。
同じ「ゆっくり」でも、どの言葉を選ぶのか、そこに作曲家のキャラクターや曲の趣向が見えてきて
とても面白いです。
例えば、ショパンは「Adagio」を使わない。
彼が「ゆっくり」を表す時は、もっぱら「Lento」を使っていますね。
ここに彼の性格とか趣向とか美意識とかが見えてくるのだと思います。




meu tempo
楽譜をじっくり読み解いて、自分のテンポ、自分の時間の中でのびのび演奏を楽しみたいですね。








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エネスク・・・ピアノのための組曲第2番 Op.10 [音楽雑感]








27歳のGouldの映像です。
作曲家志望の彼に、「新しい音は見つかったの?」と尋ねると、
「見つからなくて悲観的になってるんだ。
調性音楽はもう終わったと言われているし、自分が求めている音は70年も前の時代遅れだと言われてしまう・・・それではいけないのだろうか?
例えば、誰かの作風で曲を書くというのはいけないのだろうか・・・」
と答えています。
構わないけれど、ある時はシューマン風、ある時はブラームス風なんて作曲科の学生みたいだよ、といわれていますね。
自分自身の方向性を定めないといけないよ、と言われると、それがなくて困っていると。



結局、Gouldが作曲家になれなかった最大の理由がここにあるのではないかな。



全く個人的な意見なのですが、
西洋音楽の歴史とは、個々の作曲家達の新しい価値観の提示の積み重ね、
これまでの常識を打ち破り、今までに見ることの出来なかった新しい地平を見んとする情熱や試みの積み重ねによって支えられてきたものだと思います。

それまでの音楽の常識や基礎や方法論を否定して、次の世界に進んでいこうという気概。
そうした気概がないのであれば、たとえ彼が作曲家になったとしてもせいぜい映画音楽作家か、べらぼうに演奏の達者なリチャード・クレイダーマンで終わっていたでしょうね。




作曲が好きなことと、作曲家になるということは同じことではない。
彼が天性のピアニストであったように、生まれながらに天性の作曲家である人もいる。


ルーマニアの作曲家、ジョルジェ・エネスクの作品をただ今勉強中です。
ピアノのための組曲No.2・・・これね、知れば知るほど凄い作品だと思います。
エネスクが20歳の時の作品。
時代だ、作風だ、方法論だ・・・そんなものを、なんと軽やかに飛び越えてこの若者は地上に降り立ったものかと・・・そんな感じ。



Mineosaurusさんの記事でこの曲に出会って一目惚れしてしまい、私も弾いてみたいなぁと思ったのですが。
楽譜を手にするまで一悶着あってちょっと可笑しかった。
エネスクのピアノ譜はあまり出回っていなくて、この曲に関してはフランスのENOCH社から出ているものしかみつかりませんでした。
よく利用する無料楽譜サイトにこの出版社の楽譜が出ていたので、ラッキー!とダウンロードしたんです。
何十枚もあってプリンターのインクが切れて買いに走りましたよlittle_panda.gif
で、やっと落ち着いて曲の譜読み・・・・・

なんかね、変なんですよ。
音が。
これでいいのか~~??という音の羅列で音痴になりそう。

で、あわててCDを買いに走りましたよlittle_panda.gif
で、やっと落ち着いて耳コピに・・・・


それで発覚したのですが、この楽譜、臨時記号が違っているんです。あっちもこっちも、それも大量に。
良く見るとナチュラル記号をシャープに書き換えたりその逆もあって・・・いたずら書き?
写真.JPG
写真1.JPG

この楽譜にはGrazの音楽大学のスタンプが押してあるので図書館の楽譜だと思うのですが、学生のいたずらなのかな???
ピンクのペンで訂正しまくったのですが、時間と労力の無駄だ・・・
で、あわてて楽譜を買いに走りましたよlittle_panda.gif







プリンター・インクにCDに楽譜に・・・貧乏人を殺す気か。[むかっ(怒り)]





そしてそして、ようやっと曲の分析に。
片手にペン、片手にガリガリくんを持って日夜取り組んでいます。
アナリーゼ講座の先生に教えていただいた数々のノウハウを駆使して。
(先生!私、頑張ってますから!)


私にとって最大のキーポイントは、この曲がニ長調だということです。
ラテン語で神様のことを「Deus」と言いますよね。
この頭文字をとって、バロック期の音楽でニ長調は神様を賛美する曲によく使われています。
有名なところではBachのあの名曲、


何度も繰り返して響き渡る「D」の音と祝祭的な晴れやかな響き。


エネスクのこの組曲が「古風な形式による」と銘打っているからには、彼も同様のイメージで曲を書いているものと思われます。
チューブラー・ベルで駆け下りてくるようなニ長調のスケールが華やかで、大聖堂の鐘がガラン・ゴロンと、
「おめでと~~!!」と祝ってくれているかのようです。
この曲はパリ音楽院の作曲の試験のために準備したという説があるようですが、だとしたら先に自分で「合格、おめでと~!神様、ありがとう!」と言っているのかしら?(笑)


この楽譜は、ペダルの指定がとても詳細です。
時々ふってある指番号やフレージングも意味深です。
これは作曲家の指示なのでしょうか。
生前に出版されていることから、たぶんそうなのでしょう。
ハーモニーを分析しているとこの曲の力学というか、この曲に秘められた世界観が見えてくるようで本当に面白いです。
エネスク自身による演奏も残っています。
それを聴きながら楽譜を眺めていると、さらに興味深いことがいくつも発見できました。



まだまだ理解は浅いのですが、
そろそろ鍵盤に向かって練習をはじめようかなと思っています。
















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SCOTT HALL [音楽雑感]



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早稲田にある「スコット・ホール」に行ってきました。


1921年に建てられた由緒ある歴史的建造物です。
関東大震災にも耐え、東京大空襲からも生き延び、当時の姿のまま現存しているのだそうです。


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不思議な存在感を感じます。



中も見せていただきました。

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小さなパイプ・オルガンをのせた祭壇があります。
現在は早稲田奉仕園の礼拝堂となっていますが、基本は多目的ホールなので十字架をはずすこともあるのだそうです。




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ステージの脇にピアノが。

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天井は木製。kako-v0hYhj3Z9dDuM8T5.jpg

壁は漆喰。
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通路にはこんな可愛い足踏みオルガンが置いてありました。kako-5OmKBd1Z7me2BH5A.jpg



地下はギャラリースペースになっていて、写真展が開催されていました。
ステキな暖炉♪
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木や石や土・・・全て自然素材で作られていて、とてもステキなホールです。
自然のものから作られているホールは、自然の響きがするのだろうな~。
こんなところでコンサートができたらいいな。



と、思ったら、なんと理想の日が空いていました。







私、秋にここでコンサートをすることにしました。

























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brute-force [音楽雑感]

フリーハンドできれいな円を描くことができますか?

絵描きさんならきっとできるんでしょうね。
不器用な私はうまく描くことができません。
必ずイビツな形になってしまう。

ところが、両手で内から外へ同時に描くと、きれいにできるんです。
左右対称の動き。

水泳も、平泳ぎが楽で得意です。
これも左右対称の動きですね。
左右対称は人間の生理に適った動きなのかな。
楽に上手にできると、なんでも楽しくなりますね。



ピアノを弾くとき、この左右対称のイメージをよく使います。
真っ直ぐに座って両手の指を左右対称に動かすと、リラックスして無理なく準備運動ができます。
ピアノの楽譜って、縦にして見ると中央のドを挟んで左右対称に広がっていくじゃないですか。
ピアノの演奏には、中央のドを中心に左右対称に円を描くようなバランス感覚が必要なんじゃないかな、と思います。


私はバルトークの「ミクロコスモス」が大好きで、大変大変素晴らしい教材だと信じているのですが、初期の段階から、まさに左右対称に音が進むような曲が収められています。
無理なく、人間の生理に適ったところから始めているんですよね。
当然左右は違うメロディーを弾く事になるわけで、捉えにくい対位法のイメージも知らない間に身についていくようになっています。
凄いな、バルトーク。
子供のレッスンでも積極的に取り入れて使っているのですが、どうも保護者ウケがいまいち良くないです。
「この不気味な音楽を喜んで弾いているの。変な子になりそうでこわいわ。」(笑)
「思い通りに指が動くから楽しいんですよ、きっと。幸せそうに楽器を弾く子って、逆にステキじゃない?」



一方、明らかに人間の本能に反していると思っている教材もあります。
シャルル=ルイ・アノンの「60の練習曲によるヴィルトゥオーゾ・ピアニスト」。
いわゆる「ハノン」ですね。
この本が嫌い。
長さも機能も、個性の全く異なる10本の指を全部同様に、一斉に同じ方向を向かせて動かす訓練。
なんとなく、お隣の国のマスゲームや軍事パレードを連想してしまいます。
10本の指が同じ顔になるように、日夜長い時間をかけてひたすら無機的な音を叩き続けるのってなんかホラー。
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使う側にも指導する側にも豊かな創造力が備わっているのなら有効に使える本だとは思いますが、
私はこの教材を、「5指(小指)虐待本」と呼んでいます。



先日kotenさんのお宅でクラヴィコードを弾かせていただいた時、鍵盤がとても短いことに最初困惑しました。
この長さでは5本の指を全部鍵盤上に置くことは難しい。
しかし、バロック・フィンガリングは基本3.2.3.2と演奏することが多いからこの長さの鍵盤で十分なのかと納得しました。
1(親指)のとても個性的な指は、ここぞと言う時に使う特殊な指だったし、5(小指)のか細い指は滅多に使わない。
ハープもリコーダーも5の指は使わない。きっとそれが自然なのでしょうね。
音楽が複雑になってくると、そうも言っていられなくなって全ての指が必要になるのですが。
だから5の指をマッチョにすると言う発想ではなく、5の特性を活かした使い方を工夫するという考え方の方が自分にはしっくり来ます。


なるほど、それであなたの音並びは汚いのね、と言われそうですが、違うよ。
私の音並びが汚いのは「ハノン」を拒否したからではなく、大雑把に言ってしまえば頭が悪いからです。
それぞれのメロディーの様相を熟考し、運指を十分検討する知恵が足らないからだと思っています。
知恵が足らないのなら、識者の意見を拝めばいい。


最近、エドゥウィン・フィッシャー校訂のBach、インヴェンションを一生懸命勉強しています。
フィッシャー版のBachは現在絶版になっていて、入手がなかなか困難です。
毎回お世話になっている「アナリーゼ講座」の先生がフィッシャー版の素晴らしさを仰っていて、先生が尽力してくださったおかげで、オン・デマンドの楽譜を手にすることができました。
インヴェンション、フランス組曲、クラヴィア協奏曲、、、と少しずつ手に入れることが出来ています。
解説の素晴らしさはもとより、先生が絶賛なさっているのはその運指。フィンガリングです。
実はフィッシャー版が絶版になった大きな理由は、そのフィンガリングなのだそうです。
弾きにくくて実用的でないから・・・
フィッシャーの意図~Bachの意図を読み解く能力のない人が多すぎる、と先生は嘆いていらっしゃいました。
実際に使ってみて、先生の仰ることが少し理解できるようになりました。
フィッシャーがふっている数字には、その中にとても深い意味が含まれています。
はるか昔の遠い存在の人ですが、すぐそばでレッスンしていただいているのと同じかもしれません。



そして、実用的でないというその運指ですが、私にはとても自然で納得がいくものに思えます。
人間の生理に反しているところがないように思えます。
弾きにくいフレーズを力任せに、何度も繰り返し練習で乗り切るのもありなのでしょうが、
理解して共感して、納得すると苦もなくさらりと弾けてしまい、演奏することが楽しく、喜びになります。
これこそがBachが伝えたかったことなのではないでしょうか。













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プロフェッショナル [音楽雑感]














もうじきまた、3月11日がやってきます。
未曾有の大震災、未曾有の原発事故から2年目。
2年が過ぎて何かが変わったのかな。



自分の意識の中では、いろいろなことが変化しました。
テレビを一切見なくなりました。
平気でウソをつく人たちに無駄な期待をすることは、もうやめました。
今ある自分が、本当にたまたま偶然で生きているのだということを知りました。
今まで好きだったものが、心から本当にますます好きになりました。



未来を楽観したり、悲観したりすることの無意味さを実感しました。
誰かをあてにしたり頼りにしてじっと待っているよりも、
本当に好きなことを好きなだけやればいいんだ。
好きなこと、熱中できることがあるということがどれだけ幸せなことか。


全ての人が、自分の得意なこと、本当に好きなことにひたすら努力すればいい。





「未来?・・・・真っ暗。
お先真っ暗で何が悪いんだよ。
その中に、どんなに勉強しても得られないすごいことが待っているかもしれないじゃない。
真っ暗はいいねぇ、みんな平等で。」
                  甲本ヒロト

































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