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「月光ソナタ」の謎と写譜の美学 [音楽雑感]

先日、友人から「月光ソナタの3楽章が2種類あるのは何故?」と聞かれました。

?????

どういうこと?

彼女が、ある生徒さんに聞かれたそうです。
「第3楽章の、ある部分が1小節多い楽譜があるんですが、何故ですか?」って。

私、知りませんでした。
職場の皆でスクールに置いてある楽譜を片っ端から確認し、レッスン室のパソコンでyoutubeの動画を片っ端から見て知りました。
確かに2種類ある・・・・

自筆譜で見てみました。
ここの部分です。
No14-3.jpg
ここの7小節目。

そして、バレンボイムの演奏です。


5:05あたり。

ね?1小節多いでしょ?
その場にいた者が、誰一人知らなかったのも情けないですが。
皆、自分がどっちで弾いていたかもその時は定かでなく、なんとも曖昧な気分の一日でした。

後日、調べたところ、提示部に出てくる同様の部分にベートーヴェン自身が加筆した跡があり、それに倣って再現部も統一した版があるそうで。
npo.14-3-1.jpg
3小節目の所、確かに後から書き足してありますね。

でも、ソナタ形式は必ずこうであるという常識を優先して、ベートーヴェンが後半を訂正し忘れた、と解釈するのはどうなのかしら・・・・

・・・・謎ですねぇ。



話は変わって、
フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソーの自叙伝を読んでいて、彼が写譜の仕事で生計を立てていたというのを知ってびっくりしました。
「独立して生きたいといっても、やはり食べていかなければならない。私はそのとても簡単な方法を思いついた。それは楽譜を1ページいくらで写すというものだ。自分の趣味でもあり、個人的にも縛られずにその日のパンが得られる唯一の方法だったので、私は財務官の出納係から楽譜写しになった・・・・・」
彼の孤独な晩年、最後の8年間に、彼は11.185枚の楽譜を写譜したそうです。

ルソーは1768年に「音楽辞典」を公刊していますが、Cの項目に"Copiste"(写譜家)として9ページも費やして写譜の仕事について熱く語っています。
印刷術が発達したにもかかわらず、文字とは異なり、音楽の面ではこうした進歩があまり役に立っていないこと。(当時の印刷の技術では印刷譜に多くの制約があったようです。)
故に、写譜が最も便利な方法である。
いかなるミスも、写譜の段階ではあってはならない。
最も練達した写譜家とは、ルソーが言うには、音楽家がその理由に気付くことなく、最も容易に演奏することが出来る楽譜を書くことだそうです。
写譜家が音楽の実践の中でいかに重要な役割を果たしているかを認識した上で、「良い写譜家」を定義しています。
まず、その職業に必要な知識を全て身につけていること。
作曲家で腕がたつと信じている者も、他人の楽譜を写すという点では必ずしも十分な知識を身につけているとは言えない。
写譜家の義務はそればかりではない。
写す手本の方に間違いがあれば、それを訂正しなければならない。
といっても、作品そのものを訂正するのではない。作者がうっかり間違った音符を書いたのならば、それを訂正するのはよいが、作者が知らないで、つまり無知で犯したあやまりを訂正してはならない。
写譜家は、和声に通じ、作曲に通じているだけでは十分ではなく、種々のスタイルに慣れていて作家をその流儀で見分ける能力を持っていなければならない。
さらに批評眼を備え、あるパッセージと比べて、他の部分を復元することができなければならない。
・・・・・・・

さて、写譜家ルソーだったら、この「月光ソナタ」をどのように写したんでしょうか。
知りたいところです。








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macha

相変わらず、glennmieさんのブログは奥深くて面白いですね。
本にしたら売れそうだと思っているのは私だけでしょうか?
CD付きとかで。笑

追加された1小節って良くあることなんですかね?
私の知ってる例だと、本人の追加ではないですが、グノーがアヴェ・マリアで
バッハの平均律第1巻第1番プレリュードに歌をつけてますけど、
1小節追加されてるんですよね。これがなくても曲は成立しそうなので、
どういう意味があったのか不思議に思っています。
by macha (2010-09-13 12:50) 

tamanossimo

全然知りませんでした~ 
↑のmachaさまのグノーのことも知りませんでした。
こんなことがあるのね!? 
面白い・・・
by tamanossimo (2010-09-13 14:33) 

glennmie

machaさん、コメントありがとうございます。

作曲家が、楽譜が出版された後もいろいろと手直しを加えることはよくあることだと思いますよ。
推敲を重ねてより良い物を残したいと思ったら自然のことでしょうね^^

ただ、バッハのプレリュードの追加小節に関してはバッハの意図とは全く関係のないものと思います。
これは、バッハの息子、カール・フィリップの弟子シュヴェンケが1小節付け加えた筆写譜を残したことによるそうです。
ベートーヴェンの弟子、カール・チェルニーが出版したペータースの「チェルニー版平均律」はこの筆写譜に基づくという過ちを犯しました。
さらにグノーがこのチェルニー版を用いてアヴェ・マリアを作曲したという間違いの連鎖が起こったものと思っています。
シュヴェンケが1小節付け加えた理由は、その挿入小節の前後の減7和音(ディミニッシュコード)をいったん解決すべきと考えたからでしょうが、これはシュヴェンケの個人的解釈であって、むしろ、減7和音を解決せずに続けたところにこそバッハの創意を見る気がするのですが。どうでしょう^^

by glennmie (2010-09-13 22:33) 

glennmie

tamanossimoさん、どうもありがとうございます。

楽譜って面白いですよね。
いろんなエディションを見比べてみると本当に興味が尽きないです。
原典版と言われているものも少しづつ違うし、校訂版でとても勉強になる解釈を教えてもらうのも事実です。
コープマンさんみたいにお庭に図書館を作ってしまう人もいるし、奥が深い。
うん、楽譜って小説読むより面白い、ロマンですね~。
by glennmie (2010-09-13 22:44) 

glennmie

xml_xslさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-09-13 22:44) 

glennmie

galapagosさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-09-13 22:45) 

glennmie

Mineosaurusさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-09-13 22:45) 

glennmie

まるさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-09-13 23:15) 

macha

さすがにあの追加小節のことはご存知でしたか。私は平均律の演奏を録音した時に、それを使いまわしてギターで旋律をつけてアヴェ・マリアも録ってしまおうと虫のいいことを考えたのですが、それで追加小節の存在に気付きました。グノーがバッハのまんまじゃかっこ悪いから追加したのかと思ったのですが、そういうことじゃないんですね。笑 それにしても、よく勉強されてますねー。

by macha (2010-09-13 23:39) 

アヨアン・イゴカー

平均律クラビーア、全音の『ソナチネ集1』の楽譜と音楽の友社『平均律ピアノ曲集1』の譜が一箇所異なるというのは弾きながら分かってはいましたが、あえて理由を知ろうともしていませんでした。今、楽譜を見比べてみたら、全音の楽譜の脚注に1小節Ch. Schwenkeが挿入したもので、バッハの原曲にはない、と書かれていました。小生の人生、このような不注意の連続であります!
by アヨアン・イゴカー (2010-09-14 00:24) 

glennmie

machaさん、

浅い知識の状態から、なかなか先に進めない状況なんですよ。
様々な文献も頼りになりますが、自分の理想は、音楽そのものから自分自身の解釈を展開させていくことなんですが・・・先は遠い。
でも、ゆっくりコツコツと積み重ねていくしかないんですね。
by glennmie (2010-09-14 04:21) 

glennmie

アヨアン・イゴカーさん、どうもありがとうございます。

全音の「ソナチネ・アルバム」が何故あのバージョンを選んで載せているのか、その根拠は未だに謎ですね~。
実際の平均律より前に、この曲集でこの曲に出会ってしまう人が沢山いるわけですから、配慮に欠けた選曲と思います。
端っこに小さい脚注をつけてまで、何故このバージョンなのかしら。

私も、早とちりと不注意の連続の人生です。
誰よりも凄いですよ。負けませんよ^^
by glennmie (2010-09-14 04:30) 

glennmie

りぼんさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-09-14 09:43) 

ユーフォ

ホントだ~(@_@;)
初めて知りました~!
by ユーフォ (2010-09-14 20:49) 

glennmie

ユーフォさん、どうもありがとうございます。

ベートーヴェンの意図はどこにあったんでしょうね。
推理小説みたいですね^^
個人的には、彼の自筆譜を尊重する演奏家を支持したいです。

by glennmie (2010-09-15 02:47) 

glennmie

dorobouhigeさん、nice!ありがとうございます。

by glennmie (2010-09-15 09:34) 

glennmie

Kojiさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-09-15 11:40) 

glennmie

mwainfoさん、nice!ありがとうございます。

by glennmie (2010-09-16 00:54) 

glennmie

えーちゃんaaaさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2010-09-16 01:27) 

YM-3625

glennmieさんこんにちは はじめまして
ネットで自発的に送信するのは初めてで、ドキドキしながらメモ帳に下書きしているような老人です。(改行は必要ですか?)
「月光ソナタ」の第3楽章の件、興味深く読ませて頂きました。私自身ピアノは全く弾けないのですが、音楽と電気は好きで8bitCPU、1KbitRAM、OPアンプ(どれもICです)等を組み合わせてシンセサイザーを自作し、バッハの2声のインベンション等を一日中鳴らしていました。もう40年も前のことです。
そのうちメモリーICも256KbitC-MOSに、音源もアナログからFM音源用IC(おもちゃ程度のYM-3625)に変わりベートーベンの「月光」を一曲丸ごと入力できる時が来たのです。
随分と前置きが長くなり恐縮です。
さて、「月光」の音符データーを入力した際、提示部と再現部が長い区間でそっくりに見えたため、いわゆるコピペと音程データーを完全五度下げて何とか仕上げ、長い間繰り返し聞いていました。巨匠たちの演奏と聞き比べ、俺のほうがいいなあ等と自己満足に浸っていたのです。そして再現部の例の個所で多くの巨匠がごまかしている(あれーっ1小節抜けた!!!)様に聞こえ、右手が速く先に進んでしまったのだろうがごまかし方も上手いなあ等と感心していたのです。馬鹿ですねえ(笑)しかし軒並み同じ箇所で???どうもこれはおかしいと思い楽譜を見直すとなんと!間違ってたのは私の方でよく確かめもせずコピペしたからでした。早速データーを修正、その後は逆に「おっ!この人は俺と同じ間違いをしているぞ」と思うようになったのです。もう救いようのない馬鹿です。しかし私の大好きなピアニストも間違っており、これは一度詳しく調べる必要が、と思いつつもそれらから遠ざかり長い年月が経ってしまいました。が、最近になってPCを買い、インターネットでYouTubeを閲覧している時(便利になったものですね)例の個所がまた気になりだし、「月光ソナタ 第3楽章 再現部」で検索してこのページに来ました。
よく考えるとここまでが前置きですかね、すみません。
楽譜が2種類存在することは知りませんでした。自筆譜では、加筆小節の次の小節の低音部はスッキリしていますね。私の持っている楽譜はどれも1小節少ない版で、この部分は加筆小節の低音部と同じです。
もしベートーベンが最初から提示部と同じにするつもりが1小節抜けたのならそれを追加して自筆譜画像のようになりますが、わざと1小節削って仕上げた後に考えが変り提示部と同じにする場合、加筆小節の次の小節の低音部はかなり汚れていると思うのです。どうも説明が下手ですみません。
それにしても1小節削るならピッタリの小節でこのことが少し引っかかりますが、私は前者が真相ではないかと考えます。長い文面で申し訳ございません。益々のご活躍をお祈り申し上げます。
by YM-3625 (2010-09-19 02:37) 

glennmie

YM-3625さん、コメントどうもありがとございます。

大変興味深くご意見を拝見させていただきました。
面白いですね、ホントに。
私も自筆譜の左手の部分をベートーヴェンが修正して書き直しているところがとても気になりました。
後打ちのリズムに書き直してより緊迫した音型になっていますよね。
(ここの部分はサーカスなどで、大技を披露する前のドラムロールのドロドロドロ・・・バシャーーン!!みたいな効果大ですね^^)
この左手の音型の修正と提示部の加筆小節は同時に行われたのではないでしょうか。
つまり、両部分の左の音型を修正し、提示部だけ1小節増やしたのだと思いたいです。
ソナタ形式の常識にはずれているからベートーヴェンの方に非があるとする解釈はどうなんでしょうね?
様々な常識を覆して、彼はあの素晴らしい後期のソナタに到達したのではないかしら・・・と思います。

また貴重なご意見を是非きかせてください!
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

by glennmie (2010-09-20 13:15) 

gezkaz

glennmieさん、こんにちはー。
とんだ遅コメになってしまいましたが、ルソーのお話、大変興味深く拝見しました。
ルソーのいうところの写譜家は、校正校閲も兼ねているということなんですね。
それにしても、8年間で1万1千枚以上。それも本人の言葉を読む限りは、きっと機械的に写しただけではないのでしょうから、まさに職人でありその道のマスターですね……。

そういえば、私のピアノの先生が言っていたのですが、ある生徒さんがもっていらした平均律の楽譜が、「アヴェ・マリア」からとったみたいで、1小節多かった、とおっしゃっていたことがあったのですが、これはペーターズのチェルニー版だったのかなーとglennmieさんのコメントのレスを拝見していて、思いました。

話は変わるのですが、実は拙ブログ、引っ越しをしました。もしも差し支えなければ、リンクの貼り替えをお願いできればうれしいです。

新ブログのアドレスは、http://gezkaz.blog58.fc2.com です。
どうぞよろしくお願いいたします。ぺこり。
by gezkaz (2010-09-21 20:32) 

glennmie

gezkazさん、コメントありがとうございます。

早速リンクのアドレスをはりかえておきました。
遅くなってしまってごめんなさい。
ボヤっとしているうちに世の中はどんどん変わっていくんですね。(実感)

ルソー、変わってるでしょ~?
「むすんでひらいて」を作った人、只者じゃないと思ってましたけど。
あの時代にこの生き方・・・イケメン!

あとひとつ、ユニクロのアプリつながりで・・・
パリに行くとあの「muji」が超高級品だったり、
ルソーの人生といい・・・・
ヨーロッパって謎。
by glennmie (2010-09-21 21:55) 

YM-3625

ご丁寧なお返事有難う御座います。
まさかページに掲載されるとは知らずダラダラと書いたことを後悔しています。
glennmieさんの絶妙の比喩「ドロドロドロ・・・バシャーーン!!」には「わが意を得たり」と思わずニヤッとしましたよ。
ベートーベンが我を忘れ、髪を振り乱して弾く様子が浮かびます。きっとグールドのテンポもベートーベンに近かったのでしょう。

またも長くなりますが私の素朴な疑問にお答え頂けたら嬉しいです。
glennmieさんに酷評された?「悲愴ソナタ」第1楽章、GraveからAllegro- - に変わって40小節目辺りで変ホ短調に落ち着き、左手がリズムを刻み続ける間、右手は「第三楽章の主題風の旋律」+「合いの手」で忙しく手が交差する軽快な部分が有りますが、交差直前の音(一拍目)は本来長く延ばしたい音ではないのでしょうか?
「合いの手」のためにやむなく短くなってしまった中途半端な処理の様にもに思えます。
ベートーベンの心の中ではどのように鳴っていたのでしょう?
中央のペダルを使った演奏も少ない様ですし、こだわり過ぎですかねえ。

ようやく朝夕少しずつ涼しくなってきましたね。
どうぞ御自愛下さい。

by YM-3625 (2010-09-22 07:28) 

glennmie

YM-3625さん

こちらこそ、大変貴重なご意見をいただきましてどうもありがとうございました。
40年も前からDTMに取り組んでいらしたんですね!
しかも自作のシンセサイザーで。凄いです。
一音一音打ち込んでいく作業は、一つの音に対する意識と理解を確認する作業でもあるのでしょうね。

悲愴ソナタのご指摘の箇所(おっと・・・私別に酷評してないです^^; 自分が弾けないだけで・・・)ですが、
まず、このフレーズは2つのパートを手交差で弾き分けるのではなく、低音部から上へ駆け上がっていく1つながりのフレーズではないでしょうか。
アレグロの部分は最初から、この下から駆け上がるロケット花火の音型で出来ていると思われます。
で、ご指摘の一拍目ですが、どうでしょう・・・・片手で1フレースを弾いてみたかぎりでは、パーっと駆け登ってタータ、タータと2度繰り返した後は、フっと軽く切りたくなりませんか?
必要以上にスタッカートをするのは不自然ですが、長く留まっていたい音には感じられません、どうでしょう。
初版(ベートーヴェンの自筆譜に最も近い状態です)では、その部分にスタッカートは書き込まれていません。←これが正解と思います。

お役に立てず、すみません。
でも、面白い!
また、いろいろな問題提起をください。
一緒に考えさせていただけると、嬉しいです。

by glennmie (2010-09-22 18:30) 

YM-3625

何度も投稿してすみません。
大変解りやすく説明をして頂き、恐れいります。
glennmieさんの表現の豊かさには心から敬服しています。
毎度の事ですが、勝手な思い込みで物事を進めてしまい、実に失敗の多い、後悔の少ない人生でした。ホントに・・・
どうやら此の度も同じことを繰り返してしまったような気がしますが、私がなぜそのように考えたのか?今、楽譜を睨んでいるのですが、

1、音部記号の使い分けと、オクターブを超える音程の隔たり。
2、高音部最後の音を延ばし、交差部分を削っても曲になっている(ような気がする)
3、第三楽章冒頭の音型 ( タタタ、タータタータ、ター)
4、実際に右手だけで弾いてみたり、その様子を連想することすら出来なかった。

等で、いかにも素人らしい陥り方です。
glennmieさんのようなフレージングが出来ればこんな愚問は避けられたでしょうに...

おっしゃる通りで仮にスキャナーで譜面を入力出来たとしても、それからが終わりのない旅になります。もう昔のことですが気にはなるのですよ。
実は例の音も全音符にまで延ばしてみたところ、なぜかひどく凡庸な旋律に聞こえ、慌てて戻した記憶があるのですけれど...(この時答えが出ていたのかも知れません)
そうそうYouTubeがありましたね、しつこいようですが探してみます。
質問の材料探しではないので、どうぞご安心の程を。

by YM-3625 (2010-09-23 19:29) 

glennmie

YM-3625さん、

どうぞ何度でも、いらしてくださいませ。
いろいろなことを考える機会を与えていただきまして、私の方こそ感謝しております。
>失敗の多い、後悔の少ない人生
これ、大いに共感しました。私も同様の人生を驀進中なのです。

私、YM-3625さんのご意見にほぼ、同感です。
ベートーヴェンは、この曲でピアノではなくオーケストラの曲を表現しようとしていたのだと思います。
ピアノの鍵盤には収まらない構想があったのでしょうね。
ご指摘の箇所、音部記号を跨いでまで大きなフレーズを作ったりして。
ご想像の通り、オーケストラだったら2つの楽器で橋渡しをしなければ成りたたないでしょう。掛け合いと仰ったのは、ある意味、その通りだと思います。
そこに3楽章のテーマを使ってぐ~っと引っ張るところが、実は隠し味なのでは?

以前、記事にしましたが、アンドラーシュ・シフさんの公開レクチャーがwebに掲載されています。
32曲のソナタを全てアナリーゼしています。
とても素晴らしい内容ですよ。お暇な時にぜひチェックしてみてください。

http://music.guardian.co.uk/classical/page/0,,1943867,00.html

私、今のピアニストではシフさんとエマールさんが大好きなんです。
Gouldの言う「頭でピアノを弾く」人たち、尊敬しています。
そのエマールさんのことも記事にしました。

http://glennmie.blog.so-net.ne.jp/2010-02-12

この動画、感動しますよ。
よかったら観て見てください。

by glennmie (2010-09-23 21:40) 

YM-3625

彼岸も過ぎて、これからが秋の夜長を満喫できる時季ですね。
昔、飼っていた猫があの世へ旅立つ少し前の話です。
日毎に弱っていく姿を前に落ち着かない日が続き、気を紛らわすためにバッハの平均律第一巻を例のシンセサイザーに夢中で入力し続けました。
細かい修飾は気分的にとても無理なのでほとんど骨格だけ(それも気に入った易しそうな曲だけ)ですが、猫が逝った後もそれらの曲は手つかずに終わりました。

今でもこの中の何曲かは耳にした途端、当時の憂鬱で不安げな凍りつく様な気分に襲われるので聞くことが出来ないでいます。
特に、6、8、10、12、14番が顕著でフーガはもっとひどいです。今、番号確認のため譜面を見るだけでも駄目でした。(重症?)
この頃が特に状態が悪かったのと調性も多少関係していると思うのです。
以前から入力済の4、10、24番のプレリュードは何ともありませんし、他の曲も何度か耳にしているはず(頭には入らなかった?)なので、この時期の響きだけが不安感と共に脳裡に焼き付いてしまったと思われます。

glennmieさんが4番のフーガがトラウマだったことを知り、思い出したのです。
この曲は今見ても頭が混乱しそうで・・・多分敬遠したのでしょう。
(横たわる十字架?)
取り留めもない話でごめんなさい。

by YM-3625 (2010-09-25 04:40) 

glennmie

YM-3625さん、

そうですか・・・
辛い思い出ですね。
強烈な心象体験と結びついてしまうと、なかなかそのイメージは拭えないですよね。
でも敢えて、どうぞ乗り越えてください!と思います。

「Das Wohltemperirte Clavier、あるいは、長三度つまりドレミ、短三度つまりレミファにかかわるすべての全音と半音を用いたプレリュードとフーガ。音楽を学ぶ意欲のある若者たちの役に立つように、また、すでにこの学習に熟達した人たちには、格別の楽しみになるように。元アンハルト=ケーテン宮廷楽長兼室内楽団監督、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが起草、完成す。1722年。」・・・・これ、平均律1巻の表紙に記されたバッハの言葉です。

バッハは、子供も大人も、初心者も熟達者も、どうぞこの曲集で楽しんでください、と言っています。
曲を学べば学ぶほど、バッハがどれだけ音楽を愛し、暖かい親切な心でこの曲集を編んだかが理解できるようになってきました。
素晴らしい曲集です。
せっかく音楽と出会って、せっかくバッハと出会って、通り過ぎてしまうなんて・・・
どうぞ、再トライして、新しい目と耳で、もう一度バッハと再会してください。
by glennmie (2010-09-25 09:43) 

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