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Bach Sinfonia No.14 B-Dur BWV800 [私の録音( Bach )]

先日、職場の先輩のコンサートへ行ってきました。
シャンソン歌手の方とのジョイントで、ショパンとシャンソン。
なかなかユニークで楽しいイベントでした。


私の全然知らない分野なのでよくわからないのですが、シャンソン歌手となっていたのに
その方が日本語で歌っていらしたことにちょっとびっくりしました。
フランス語で歌うから”シャンソン”なのでは?
フランスの歌なのですが、日本語で歌われると、どれも美空ひばりさんのように聴こえてしまいました。


言語とその国の音楽って非常に密接な関係にあると思うのですが、
特に”シャンソン”は、フランス語の語感とか、アーティキュレーションとか、イントネーションとか、
なんとか、かんとか・・・切り離せないものなのではと思います。


以前、イギリス人の友人に、日本語ってカタカタカタカタ~!って聞こえると言われたことがあります。
そうかもね。
とすると、フランス語とは随分遠いところにある言葉だな。


で、この曲。
この曲はとても日本語に近い感じがしませんか?
だからなんとなく親しみやすいんです。(って気軽に弾いてしまって・・・・[爆弾]













フランス語の曲といえば、この曲がお気に入りです。



ロマ風のフレンチ・ポップス。
メロディーがたった4つの音しかないのよ~!!
なのにこんなに素敵なのは、やはりフランス語そのもののパワーからきてるのかも。















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Enrique

音楽と言語。なかなか深い分野ですね。
器楽やる人間はどうしても音楽を無言歌のように捉えてしまいます。器楽も歌詞付きの歌だと思えば良いのか,あるいは音楽そのものが別系統の言語だと思えば良いのか?後者とすれば普通の言語の力が強い場合には音楽的要素は最低限でも良い事になりますか。
器楽でもメロディやリズム以外にも音色が重要な意味を持つ事も多いですから,ましてや意味を持つ言語(歌詞)は音色以上の決定的影響になるのでしょうか。
by Enrique (2012-09-19 09:49) 

glennmie

Enriqueさん、コメントありがとうございます。

音楽って、誰かが歌ったり演奏したりしなくても既に存在するものだ、という考え方が好きなんですよ。
観念の世界のものだから、みんなの頭の中にすでに存在している。
歌ったり演奏したりするのはそれを伝達するための手段なのでは。
そして、その意味では言語も同じだと思います。
そこには、傾向とか方向性とかの特徴があって・・・国民性や民族性などということも出来ますが。
私たちが、こういう生活をし、こういう食べ物を食べ、こういう習慣を持って生きてきた結果に私たちの言語のスタイルがあるように思います。
うまく言えていませんが・・・(汗)

先日のシャンソンのコンサートを聴いていて、彼女の歌が、実は自分がクープランを弾く時の雰囲気になんか似てるな、と思ったんです。
ささやくように、字余りに歌えばシャンソンになるのか?違うだろ、と自分に対しても同様に思ったわけでして。
うーん・・・これもうまく言えてないな(汗×2)

クープランの曲って、歌詞ついてなくても、メロディーだけじゃなくて、いろんな要素がフランス、フランス語っていう感じしません?
異なる文化圏、言語体系を持つ人々の観念の世界にあるものに対する向き合い方、みたいなものを考えさせられたんですよね。
う~ん・・・だめだ・・・お返事になってなくてごめんなさい。
by glennmie (2012-09-20 00:37) 

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