未完のフーガ [音楽雑感]
規範フーガというものがあります。
対位法を学習する時に教わります。
要は、フーガをこんな形にまとめるとおさまりがいいですよ、という規範になるフォーム(形式)のこと。
フーガのテンプレートのようなものですね。
Bachが自分の息子たちや弟子たちの教育用に作った平均律やシンフォニアにも何曲か、このフォームに沿った物があります。
もっとも、規範フーガのスタイルが確立したのはBachの死後からだそうですので、Bach自身は規範にのっとった作曲法を弟子たちに伝授する意図は持っていなかった、ということになりますね。
フーガは様式(スタイル)です。
始まりと終わりがきちんと定められた形式ではないのです。
テーマとアンサーが呼びかけあい、絶えず変化しながら進んでいく「プロセス」なのです。
だから、こぢんまりとしたテンプレートなどには収まるはずもない無限の可能性を持っているのです。
Bachは生涯をかけて、この不思議な音の連なりを解明しようとしました。
彼の同時代の作曲家達が時代の波に乗って、より旋律指向の曲を書くようになってもなお、Bachは頑固にフーガを書き続けました。
未完の「フーガの技法」は、そんなBachのフーガ研究の集大成となるはずだった・・・・
曲集「フーガの技法」は、謎だらけですね。
作曲年代、楽器、曲の配列・・・
自筆譜と初版の内容が大きく異なっていることから、様々な論議を生んできました。
でも最大の謎は、やはり最後の未完のフーガでしょう。
それは、手稿譜に「対位主題にBACHの名が持ち込まれたところで作曲者は死去した」と記されている真偽不明の書き込みのためではなく。
Bachはどのようにこのフーガを仕上げるつもりだったのか、という決して回答の得られない問いのために。
「この作品では、Bachは少なくとも100年は遡り、北ドイツやフランドル地方の、バロック初期の作曲家たちから対位法や調性の扱い方を借用しました。そのために調性を使いながら色彩豊かな調性の罠にはまりこんでいない。
果てしなく続く灰色の世界です。
シュバイツァーは”静寂で荒涼たる場所 、荒涼としていて厳しく、色も光も動きもない”と述べています。」
果てしなく続く灰色の世界の行き着く先はどこにあるのだろうか。
このフーガの結末については様々な憶測がなされています。
3つの主題は基本テーマと結合する可能性がある、よってこのフーガは4重フーガに発展していったのではないか・・・・
この推測を基に、また様々な作曲家が中断された後の部分をつなげています。
(ブゾーニさん、まだまだ長いので抜粋部分だけ・・・ごめんなさい・・・・)
でも、どの試みも何故かむなしい。
ミロのヴィーナスの腕は、想像力の中で完結するのが相応しい。
同様に、
私にとっては、このフーガのエンディングは、現実世界では、この終わり方しかあり得ない。
対位法を学習する時に教わります。
要は、フーガをこんな形にまとめるとおさまりがいいですよ、という規範になるフォーム(形式)のこと。
フーガのテンプレートのようなものですね。
Bachが自分の息子たちや弟子たちの教育用に作った平均律やシンフォニアにも何曲か、このフォームに沿った物があります。
もっとも、規範フーガのスタイルが確立したのはBachの死後からだそうですので、Bach自身は規範にのっとった作曲法を弟子たちに伝授する意図は持っていなかった、ということになりますね。
フーガは様式(スタイル)です。
始まりと終わりがきちんと定められた形式ではないのです。
テーマとアンサーが呼びかけあい、絶えず変化しながら進んでいく「プロセス」なのです。
だから、こぢんまりとしたテンプレートなどには収まるはずもない無限の可能性を持っているのです。
Bachは生涯をかけて、この不思議な音の連なりを解明しようとしました。
彼の同時代の作曲家達が時代の波に乗って、より旋律指向の曲を書くようになってもなお、Bachは頑固にフーガを書き続けました。
未完の「フーガの技法」は、そんなBachのフーガ研究の集大成となるはずだった・・・・
曲集「フーガの技法」は、謎だらけですね。
作曲年代、楽器、曲の配列・・・
自筆譜と初版の内容が大きく異なっていることから、様々な論議を生んできました。
でも最大の謎は、やはり最後の未完のフーガでしょう。
それは、手稿譜に「対位主題にBACHの名が持ち込まれたところで作曲者は死去した」と記されている真偽不明の書き込みのためではなく。
Bachはどのようにこのフーガを仕上げるつもりだったのか、という決して回答の得られない問いのために。
「この作品では、Bachは少なくとも100年は遡り、北ドイツやフランドル地方の、バロック初期の作曲家たちから対位法や調性の扱い方を借用しました。そのために調性を使いながら色彩豊かな調性の罠にはまりこんでいない。
果てしなく続く灰色の世界です。
シュバイツァーは”静寂で荒涼たる場所 、荒涼としていて厳しく、色も光も動きもない”と述べています。」
果てしなく続く灰色の世界の行き着く先はどこにあるのだろうか。
このフーガの結末については様々な憶測がなされています。
3つの主題は基本テーマと結合する可能性がある、よってこのフーガは4重フーガに発展していったのではないか・・・・
この推測を基に、また様々な作曲家が中断された後の部分をつなげています。
(ブゾーニさん、まだまだ長いので抜粋部分だけ・・・ごめんなさい・・・・)
でも、どの試みも何故かむなしい。
ミロのヴィーナスの腕は、想像力の中で完結するのが相応しい。
同様に、
私にとっては、このフーガのエンディングは、現実世界では、この終わり方しかあり得ない。
xml_xslさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2011-01-12 09:17)
takemoviesさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2011-01-12 09:18)
galapagosさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2011-01-12 09:18)
アヨアン・イゴカーさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2011-01-12 09:19)
ユーフォさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2011-01-12 09:19)
おおぉっ!
鳥肌っ!!
by tamanossimo (2011-01-15 01:52)
tamanossimoさん、どうもありがとうございます。
音楽って、ぶっちり切れるとショッキング・・・・
音楽はコスモス、無音はカオス・・・・
なのかしら。
by glennmie (2011-01-15 10:01)
コトキャンさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2011-01-15 10:02)
ぼんぼちぼちぼちさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2011-01-15 10:02)
Mineosaurusさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2011-01-15 10:03)
eternityさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2011-01-15 23:57)
yayu-changさん、nice!ありがとうございます。
by glennmie (2011-01-18 12:52)