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主眼の転位 [Gould]


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とても印象的な写真でしょ?
オムツがちょっとはみ出したポチャポチャの足を踏ん張って逆さまからこちらを見ているのは、1歳のGouldです。
(隣で、ウ~ッ・・・ボキボキ!!となっているのは彼のお祖父様だそうです。)

「主眼の転位」・・・Gouldを語る時に常に付いてくるこの言葉。
1歳の時からすでに彼はこの言葉を実践していたのでしょうか。
凄い。ミラクル・ベビーだ。




私の夏休みも終わり、一方セバスチャン(私のピアノ)は、恒例の調律師さん待ちの休養中です。
こんな時は、心機一転、秋に向けていろいろ計画を立てたり、本を読んだり、美術館に行ったりして乏しい自分の頭に充電をしたいです。
決して「頭でっかち」にはなりたくないです。
自由で柔軟な発想が持てるような、豊かな感性を持ちたいです。
堅苦しい規範や意味のない常識に左右されない、毅然とした「自分の真実」を持ちたい。








「囚人になりたい。
私は西側の世界で評価されている自由への盲信を全く理解することができません。
私が見る限り、行動の自由は可動性にのみ関わることであり、言論の自由は社会的に是認された言葉にのみ関わることが多いのです。
そして牢獄に入るということは、個人の内面的な可動性と力を試す最良の機会であり、それによって創造的な選択が可能になる状況だと思います。」
                         ・・・・・・Glenn Gould










技巧は探求のための単なる道具であるとし、複雑性を飼い馴らすことなく解決し、思考の重荷をウィットで解いて・・・・・Glenn Gouldは自由自在に軽々とピアノを弾く。
そう、そんなGouldに尊敬の思いを込めて、最後にもう一度。






パシャッ!

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Goldberg....81ショットのヴァリエーション [Gould]





1981年の最後のGoldberg と、1955年、デビューの年のGoldberg 。
一番の大きな違いは何だろう。


その答えは、彼のこの言葉の中に
"The purpose of art is not the release of a momentary ejection of
adrenaline but is, rather, the guradual, lifelong construction of
a state of wonder and serenity."

「芸術の目的は、アドレナリンの瞬間的な放出ではなく驚きと穏やかな心の
状態を生涯かけて築いてゆくことにある」


最後の最後に彼が音楽に求めたものは、穏やかな”癒し”であったか・・・・


「本質的には、芸術の目的は癒しなおすことです。
音楽は、心を安らかにする経験なのだと思いたいのです。」
                       Glenn Gould
















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究極のGigue [Gould]








この音の粒の集合体には・・・ただ、ただ、言葉も出ず、無言でぶっ飛びます。






この映像はスゴイです。
何の装飾もなく。

この録音はスゴイです。
この至近距離のマイク。
リバーブもなく、何の加工もなく、すぐそばで今まさに演奏されているかのような。




そこにあるのは、ひたすらリアルな驚愕の姿。



この鋼のようなタッチ。
この気迫とオーラ。


あなたの50年の人生の中の1分23秒。
私はたとえ300年生きたって、その1秒分にもたどり着けないよ。







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Gould と バーンスタイン [Gould]

ロマン派の華麗なピアノ・コンチェルト。
ピアニストは、勢ぞろいしたオーケストラのメンバーと丁々発止の応酬、最後にはトリルとアルペッジオが炸裂する独壇場をもらってドラマティックなエンディング・・・・

子供の頃には憧れましたけどね、ロマン派の華麗なピアノ・コンチェルト。
何曲か聴き込むうちに、そのうち飽きてしまった。
あまりにもパターン化されすぎていて。
リストも、チャイコフスキーも、グリーグも、ショパンも、皆然り。
オーケストラのダダーン!という予告の後に、もったいぶったソリストのカデンツァが始まると、あぁ・・・出た・・・
と思ってしまうのは私だけ?
ひたすら技巧の見せ場のようなあのカデンツァに、どんな音楽的意味があるのかしら。



バロックの協奏曲をぬきにすれば、
ハイドンとベートーヴェンの初期のコンチェルトが結構好きです。
あと、ブラームス。
でもこれらのコンチェルトは、コンチェルト界ではどちらかというとマイナーな存在かもしれないですね。


さて、そのブラームスのピアノ・コンチェルト NO.1。
ピアノ・コンチェルトなのにピアノが目立たない、なのに、弾くのが滅茶苦茶難しい、という問題児。
元来この曲は2台ピアノのためのソナタとして書かれています。
次に交響曲に仕立てようとしています。
ブラームス自身、何がしたかったのか・・・・
最終的に出来上がったこのコンチェルトは、実に風変わりです。
拍子がなんと6/4拍子、第1楽章は速度指定なし、突然ピアノ・パートのみの第2主題、そしてカデンツァなし。
なのに第3楽章はカデンツァを2つも持っているんですよ。
この難物をどう解釈し、どんな風に演奏するのか。
これこそピアニスト冥利に尽きる曲だと思いませんか?


Gouldは、この曲を「基本的なモチーフの糸による洗練された織物」と評し、対照的でドラマチックなロマン主義的解釈を捨て、作品構造の相似点のみをひたすら分析する立場を貫きました。

結果、指揮者であったバーンスタインと意見が合わず、彼の変なスピーチで、演奏よりスキャンダルで有名になってしまったのは本当にもったいないと思います。

(余談ですが、Gouldは指揮者に恵まれませんでしたね~。バーンスタインとは、絶対に合わないと思うんですが、何故か沢山共演してますね。なぜなんでしょう。当時のコロンビア・レコードの2大看板だったからでしょうか。ここでも商業主義に巻き込まれてますね~。アーノンクールさんとか、聴いてみたかった・・・・・)


で、残っているのは海賊盤の音源のみ。
音質が悪く、聴衆の咳がすごくて聴き苦しい。
しかも、Gouldが理想とした演奏ではない方の日の録音です。
きちんとした形で聴きたかった・・・・残念です。



こちらが演奏前のバーンスタインのスピーチ。

自分の本位ではないが、面白そうなのでGouldに合わせたよ、と言っています。

一方こちらはGouldの談話。

自分は、たとえ19世紀の協奏曲であっても、「バロック的」な気分でやりたかった。
強弱やテンポの誇張を少なくし、男性的な第1主題と女性的な第2主題、吠え立てるオーケストラと穏やかなピアノという対比を目立たなくしたかった。
各楽章に共通のパルスを持ち込んで全体を統一したかった、と言っています。




長いんだー、この第一楽章。












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このイタリア協奏曲は・・・??? [Gould]

よく、いろいろな作曲家の作品集の最後の方に「遺作」って載ってるじゃないですか。
作品番号をもっていない作品たち。
これって、いかがなものか・・・と、常々思っています。
もしかしたら、作曲家自身、人に見られたくなくてお披露目しなかった作品かもしれないじゃないですか?
クローゼットの奥にそっと隠しておきたかった作品かもしれないじゃないですか。
故人になってしまうと、プライバシーは尊重されなくなってしまうのかな・・・・なにもかも晒されて。
ずっと昔から、この「遺作」というやつを見ると無条件に抵抗を感じてしまいます。


今回、こんなことを考えたきっかけはこちら。
ggyoung2-1half.jpg
Gouldの10代の頃の演奏を集めたというこのCDが、youtubeにアップされているのを見たので。


このレコードは、いろいろと曰く付きのものらしく。
ただ、私は持っていないので詳しくはわからないんですが。
デビュー前のプライベート録音なんて興味ないし・・・Gouldが生きてたらOKを出すはずもなく、「遺作」と同じような抵抗を感じてしまうのです。
それに、ここに収められている数々の録音・・・・ちょっと待って、これって何?



1948年とあるから16歳の時ということらしいけれど、聴いてびっくり。
最初にリリースされた時は、Gouldの先生のアルベルト・ゲレーロさんの演奏とクレジットされていたそうです。
それが後にGould本人のものらしい、ということになったそうですが、これってホントにGouldなの??
まずこれ、先生の演奏とするにはあんまりじゃない?
だからGouldの演奏とするのも、あんまりじゃないですか?いくら子供時代とはいえ、違うでしょ・・・・だって、第一にこれは右利きの人の演奏だ。
他のお弟子さんの可能性もあるそうで。



このCDにはゲレーロ先生とGouldの連弾も収められているのですが


実はこちらも演奏者は実際にははっきりわかっていないみたいです。
ゲレーロの奥さんとロバート・フィンチというお弟子さんの連弾の可能性が高いそうで・・・
どっちにしても、こんなの世に出されたらイヤだなぁ!
こんな状態のものまで商品にしてしまうの?





有名人ってつらいのね・・・・













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Gould rehearses for the Stratford Festival [Gould]

イギリスにある、ストラトフォード・アポン・エイヴォンはシェイクスピアの故郷で知られています。
今ではすっかり観光地化されてしまっていますが、とても素敵な町です。

カナダのストラトフォードは、トロントから車で2時間ぐらいのところに位置するそうです。
シェイクスピアの町と同じ地名とういうことから、こちらでも4月から9月までシェイクスピアの戯曲などをメインに上演する演劇祭が行われるんだそうです。

1960年代には同時に音楽祭も行われていて、毎年様々な演奏家や作曲家達が訪れていました。

ステージ活動を否定していたGouldですが、この音楽祭には意欲的で、1960年にはヴァイオリニストのオスカー・シュムスキーとチェリストのレナード・ローズとともに音楽監督を務め、運営者の一人としてなんと、演奏会の日程調整や劇場修復のための資金集め、演奏者の出演交渉、作曲家への作曲依頼までやっていたらしいです。
信じがたい・・・・・


こちらはその時のリハーサル風景です。
Gouldが運営のことでぶちぶち文句を言っている相手は、総監督のルー・アップルバウムさん。
最初に彼がフラフラ弾いているのはチャイコフスキーの「ロミオとジュリエット」
シェイクスピアつながりというシャレですかね・・・・
後にシュムスキーが現れて一緒に練習しているのはベートーヴェンのバイオリン・ソナタ第7番の終楽章です。








彼は1964年までこの音楽祭に貢献しました。










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GouldのToronto [Gould]



Gouldが、自分が生まれ育った町、トロントを紹介するビデオの冒頭です。

「私はトロントに生まれ、ここを生涯の本拠地にしています。何故かわからないのですが、便利だからでしょう。
都会生活が性に合わず、できたら田舎で暮らしたい。
トロントは、都会であることを押し付けてこないという意味でほっとできる数少ない町です。穏やかな都会の最高例はレニングラードでしょう。ロシア語と政治体系を身につけられれば一生住めたかもしれません。
ニューヨークやローマに住むことになったら、きっと私は破滅していたでしょう。
肝心な点は、私がこの町とほとんど関わりを持ってこなかったということです。私が本当に良く知っているトロントは、思い出の中にしかないように思います。
・・・・・・・
トロントは近年目覚しい評判を得てきました。偉大なる新都市、来るべき未来のモデル都市、と呼ぶのはアメリカやヨーロッパの雑誌や都市計画者たちです。一方カナダのほかの町の人々は、ここを”ブタの町”と呼びたがった・・・・・・・」

こんな感じでしょうか。

私はトロントにはなんの興味もないのですが、この冒頭部分がとても気に入っています。

謎のコスプレのGouldの演奏にぶっとんだからです。
リヒャルト・シュトラウスの「イノック・アーデン」。
素晴らしい!!!



この人のシュトラウスは、本当に美しいです。



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ピアノの蓋をはずしたら・・・・ [Gould]



このビデオ、どれだけ観れば気が済むの?と言われるほど観続けています。
観始めると引き込まれて、最後まで観てしまいます。
(いや、正確には最後の一曲前まで。最後のアリア・ダ・カーポは観れないですね・・・・やっぱり・・・。)
特筆すべきはその運指です。凄いですよ~。目からウロコの半漁人になってしまいそうです。


しかしこの動画はコメントが凄いね。
コメントの内容も面白いですね。
しかも観るたびにコメントが増えてる。

この動画ではピアノの蓋をはずして演奏してますね。
そのことに対するコメントもたくさんあって興味深い。
YAMAHAのロゴを隠すためとか、蓋に手が当たるのを避けるためとか、音を聞くためとかいろんなコメントが出てます。

確かに蓋に指が当たるのは気になります。
以前ホロヴィッツのピアノを見たときも、指が当たった傷が蓋にいっぱいいっぱい、ついていた。
Gouldの自宅のピアノ(チッカリング)の蓋にもたっくさんの傷がついていて塗装がはげていました。

gg.jpg



でも、録音の時Gouldが蓋をはずすのは純粋に音を聞くためのような気がします。
彼はとても低い椅子に座っているから、自分の弾いた音をよく聞くための工夫なのだと思います。

生意気ながら、私も譜面立てを立てて演奏すると音の響きが変わってしまうので、弾き込みのときは倒しています。
(ピアノに向かう時は暗譜ができてから・・・これが最近怪しいんだなぁ・・・やだなぁ・・・・・)
正直、譜面立てとか蓋って邪魔な時ありませんか?

何故この動画の時だけこの話題があがるんだろうか。
彼はずっと以前から、このスタジオで録音する時は蓋をはずしていたのに・・・



勿論、はずした蓋の間から彼が聞きとっているものは、私なんかが聞くものとは全く違う次元のものでしょう。

先日、調律師さんがこんなことを言っていました。
「Gouldは、普通じゃないですから。あのオンボロのホンキートンクみたいなピアノ(チッカリングのこと)で練習しながらあれだけの音のイメージを掴むなんて、普通ありえないでしょ。神様しか聞き取れないようなものを彼は聞いていたんじゃないですか。」
私 「へぇ・・・わんちゃんみたいなものかな・・・・じゃあ、Gouldは犬笛が聞こえたりして」
「いや、あのね・・・・」(調律師、絶句)。



「芸術の道を自分で創り出し、彼以前の誰も見たことのない何ものかに気づいた・・・・・子供の目と耳を持ち続けたピアニスト」・・・ジョナサン・コット


追記
じゃあ、Gouldはモスキート・トーンも聞き分けたのかな・・・・






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So You Want to Write a Fugue [Gould]

僕はピアニストではない、と公言し若い頃は作曲家志望だったGouldの作品です。
自分のテレビ番組「フーガの解剖学」のために作曲されたものです。



フーガのスタイルの中に自虐ネタが満載で、まあ冗談音楽の部類に入るんでしょうが、個人的にはとても良いデキだと思うのです。

最初は厳格なフーガで始まるんですが、どんどん崩壊していっちゃうの。
途中でバッハのブランデンブルクと、短調になったワーグナーのマイスタージンガーのフレーズがでてきますね。
面白い。

そこらへんの所を自分で解説しているビデオがあります。



クロスワードパズルみたいでこういう音楽は楽しいね、14世紀のアイソリズムのスタイルも好きなんだ、と言っています。
この作品はフーガの作曲のプロセスを見せてるんだよ、まず構造を提示してから、それを敢えて壊したところが特に楽しかったんだ、と言っています。
ほんの駄作だよ~、と言いながらもすごく自慢げで可愛いですね~。
インタビュアー(ブルーノ・モンサンジョン)が何か言いかけると、「僕のすごいストレッタを聴いて、シーー!」(1:33頃)って、この人じゃなかったらかなり痛いキャラ・・・・



ところで・・・・
フーガの曲なのに何故ワーグナー?
マイスタージンガーの序曲は対位法的な作品だったことをこの時知りました。
Gouldはこの序曲をピアノ用に編曲していますが、対位法バリバリでバッハみたい。



また自慢してますね~^^
リタルダンドもアッチェルランドもないんだよ!だけどほらほらビックリ~!と言ってます。
途中で止めて、「こんなの知らなかったでしょ?」と言っています。
バイロイト中継だ!ある意味!と言っています。
インタビュアー(ブルーノ・モンサンジョン)がマイスタージンガー?と尋ねると「他に何が?」(0:38)って、この人じゃなければ退く・・・・

この曲をここでストップしているのは、彼の編曲がこの後2台ピアノ用になっているからです。
レコードでは多重録音をしています。
「自分のルバートに合わせるのが死ぬほど大変だったので、もうイヤ・・・」だったそうです。


最初から最後まで対位法にこだわり続けた人生でしたね。


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北の人 [Gould]







北の人
孤高の人

そして今はもう、時間も空間も超越した人












”It's a music from heaven.
Rest in peace, GG, and play for us poor earthly men. ”
(天国からの音楽。
安らかにお眠りください、GG、そして憐れな地上の私たちのためにピアノを弾いて。----youtubeのコメントより)






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